2016年12月号
特集
人を育てる
対談
  • 人づくり経営研究会社長和地 孝
  • オフィスはなわ代表塙 昭彦

組織を伸ばす
人材をどう
育てるか

経営の神様・松下幸之助は「企業は人なり」との明言を残している。そこにどういうリーダーがいるかによって企業の盛衰は決まる、ということだろう。その範を示した2人のリーダーがいる。かつて倒産の危機に陥っていた医療機器・医薬品メーカーのテルモをV字回復させ、業界トップへと飛躍させた和地 孝氏。イトーヨーカ堂の中国進出をゼロから立ち上げ、セブン&アイ・フードシステムズの再建も成功に導いた塙 昭彦氏。2人はいかにして人を育て、組織を伸ばしていったのか。

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いまの日本企業に欠けているもの

 和地さんには初めてお目にかかりますけど、我が家はテルモの商品をたくさん使っていますから、きょうは楽しみにしていました。

和地 ありがとうございます。

 いまはもうテルモの役職からは退かれているんですか。

和地 はい。私はテルモの社長を9年、会長を7年、名誉会長を2年務めて、3年前に辞めました。
基本的に私は、同じ人間が組織のトップをあまり長くやってはいけないと思っているわけですね。なぜかと言いますと、これは悪口ではないですが、先代が社長を26年やったことで全社員が指示待ち体質になってしまった。その結果、3期連続の大赤字になり、一時は77億円に膨らんでしまったのです。

 ああ、77億円も。

和地 その時に経営を引き継いだものですから、長居は無用と思っていたわけですけど、組織を根本から再建するとなれば、やはり10年くらい時間がかかりましたね。私が社長時代には、最終的に350億円の経常利益を出しました。再建の手法については後でお話ししたいと思いますが、要は人を大切にする経営なのですね。
長年経営の第一線に身を置いていた者として、いまの日本企業の経営を見ていますと、グローバリゼーションや成果主義が加速して、数字が先に行っている。企業が利益を出すのは当たり前なのですが、数字の目標だけが前面に出ると経営が短絡的になってしまう。企業の不祥事が立て続けに起きている原因もそこにあります。
だから、私が一番大事だと思っているのは、人を生かすことであり、人を育てること。日本は何しろ資源のない国ですけど、その日本で一番の資源は何かと言えば、やはり人だと思うのです。

 おっしゃるとおりですね。

和地 そのことをもう一度考え直さないとこの国は長く続かない。
ということで、81歳を迎えたいまなお、「人づくり経営研究会」という看板を掲げて、体力の許す限り全国各地で講演活動をさせていただいています。
80も過ぎれば人生下り坂だと言う人がいますけど、私は何歳になっても人生はずっと上り坂だと思っています。だから、まだまだ頑張らなきゃと自分に発破を掛けているのです。

 そういえば、最近ニュースで見ましたが、テルモは次々に海外の企業を買収しているようですね。

和地 そうです。買収の仕方も、私が社長の時から言っているのですが、買収した会社の人を大切にするようにと。
海外の企業を買収する時によくあるのは、トップを替えて日本人にやらせる。それで終わりでは買収した先の有能な社員まで失ってしまう。これでうまくいくわけないのです。トップから社員まで頑張る意欲があるならそのままでいいよと。トップの代わりに、若い日本人の社員を注ぎ込んで、海外の技術や経営方法などを勉強させることが大事です。
これまで10数社を買収していますけど、おかげさまでほぼうまくいっています。

 和地さんの教えが組織のDNAとして脈々と受け継がれているのですね。

人づくり経営研究会社長

和地 孝

わち・たかし

昭和10年神奈川県生まれ。34年横浜国立大学経済学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。54年ハーバード大学ビジネススクールに留学し、米国駐在。63年同行取締役。平成元年テルモに常務として出向し、専務、副社長を経て、7年社長。16年会長兼CEO。同年、人づくり経営研究会設立。20年旭日中綬章受章。23年名誉会長。著書に『人を大切にして人を動かす』(東洋経済新報社)など。

休みなく働くことが習慣になっている

和地 塙さんもイトーヨーカ堂の中国進出やデニーズ再建を見事に成功させてこられましたね。

 イトーヨーカ堂の中国総代表として海を渡ったのは平成8年、まだどこのデパートも中国に進出していない時期でした。もう全くゼロのところからお店を立ち上げ、現地のスタッフを教育していくのは非常に苦労しましたけど、在任していた10年間で12店舗つくり、売上高も1,000億円を超えることができたんです。
帰国後、そろそろ定年かなと思っていた頃に、今度はデニーズの社長をやりなさいと。引き受けてみたら、これが赤字の会社でした。一所懸命やって44億円の赤字レストラングループを3年で立て直し、辞表を出したんですね。

和地 どうしてですか。

 社長である私が決裁しないと商品をお店に出せない。だから、毎日のように試食をするんですね。役員なんかは自分の体のことを考えて、1回でパスする。私はそれじゃダメだろうと。もっと野菜を多くしなさいとか、ソースはこういう味にとか、納得のいく完成品ができるまでは妥協せず、何回でも食べ続けました。
社用車を使わず、毎日電車とバスと徒歩で移動していたものの、結局、血管に負担がかかって、腹部大動脈瘤、6本の心臓バイパス手術、頸動脈瘤と、1年のうちに3回手術をしたんです。

和地 体が悲鳴を上げてしまった。

 その後、2011年にセブン&アイ・ホールディングスの顧問に就任することになり、同時に自分でも好きなことをやろうと思い、「オフィスはなわ」を設立したわけです。おかげさまで経営に関するいろいろな相談事を受けていまして、ほとんど無料みたいな感じでやっていますが、土日も事務所に出てきて仕事をしたり、原稿を書いたりしています。

和地 いまも休む暇なしって感じですか。

 そうですね。これが私の体には合っているのかもしれない(笑)。というのも、私は20代の頃から土日も休みなく働いてきたので、習慣になっているんですね。
組織を率いていた時も、イトーヨーカ堂にしろデニーズにしろ、本社は土日が休み。ところが、お店は土日が最盛期なんですよね。やっぱり経営は現場が一番大事ですから、土日もお店に足を運んでどんな商品が売れているか、お客様に満足していただいているか、必ず見ていました。
今年(2016年)74歳になりましたが、朝はどんなに遅くても6時には起きて、7時半頃に出勤する。こういう生活は一生涯続けていくだろうと思います。

オフィスはなわ代表

塙 昭彦

はなわ・あきひこ

昭和17年東京都生まれ。39年青山学院大学経済学部卒業。42年イトーヨーカ堂入社。58年首都東ゾーンマネジャー。同社女子バレーボール部総監督として日本一に導く。営業本部長だった平成8年、中国室長を任じられ、中国での店舗開拓に尽力。19年帰任し、セブン&アイ・フードシステムズ社長。23年セブン&アイ・ホールディングス顧問。同年オフィスはなわ設立。著書に『リーダーへの伝言』(PHP研究所)など。