2016年7月号
特集
腹中書あり
我が人生の腹中の書➄
  • アスペック社長小林充治

安岡人間学に
ひらかれた運命

開業した歯科医院は来院が引きも切らず、人生は順風満帆に思えていた。ところが、思いがけないところから運命の歯車は狂っていった……。どん底に陥った経営と家庭を見事に立て直した小林充治氏に、人生好転の契機となった安岡人間学との出逢いを語っていただいた。

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得意の絶頂から人生のどん底へ

「自分を見つめ直したいから実家に行ってきます。そこで考えが変わらなかったら、私は別れることにします」

妻からこう言い放たれたのは、平成15年のことでした。成功者の仲間入りを果たしたと思い込んでいた私の人生は、一体どこで狂ってしまったのか。その時の私には考えも及びませんでした。

私が岡山で歯科医院を開業したのは平成4年でした。父親の体が不自由で実家の家計が苦しかったため、私は子供の頃から、自分が頑張って家族にいい生活をさせてやらなければならない、という思いを抱いていました。そこで大学の歯学部、さらに大学院に進んでがむしゃらに勉強し、在学中に知り合った妻と、ビルの一角を借りて「オリーブ歯科」を開業。妻が当時まだ珍しかった小児歯科の認定医の資格を持っていたことや、「痛くない」「待たせない」「治療内容について明確に説明する」というポリシーを掲げたことなどが奏功して、患者さんの予約でいっぱいの人気歯科医院となりました。大きな家を建てて田舎の母を呼び、また33歳の若さで市の歯科医師会の理事に就任し、私は得意の絶頂にありました。

ところがその頃から、人生の歯車が少しずつ狂い始めたのです。医師会活動が多忙になったことで、診療にしばしば遅れが生じ、スタッフとのコミュニケーションが不十分になりました。その頃3人目、4人目の子供を授かり、妻が副院長を辞めて家事に専念することになり、代わりにドクターを雇ったため小林家の収入は激減。逆に医院の人件費は嵩むことになりました。医院と家の両方で資金繰りがどんどん逼迫していったのです。

医院の運営や医師会活動で多忙な上、毎晩付き合いで遅くまで飲んで帰るため、家庭を顧みる余裕は全くありませんでした。そんな私に不満を募らせた妻とは衝突が絶えなくなり、冒頭に記したように実家に帰ってしまった時期もありました。さらには、荒んだ家庭に精神を蝕まれた長女が、拒食症で入院する事態に至ってしまいました。妻から聞かされるまで、彼女の異変に全く気づかなかったことは、大変なショックでした。

歯科医院の経営も家庭も行き詰まり、私は得意の絶頂から一転、人生のどん底に突き落とされたのでした。

アスペック社長

小林充治

こばやし・みつはる

昭和35年広島県生まれ。岡山大学歯学部、同大学大学院歯学研究科卒業。平成4年オリーブファミリーデンタルクリニック(オリーブ歯科)開業。7年医療法人オリーブ設立。15年アスペック設立。岡山大学歯学部臨床教授。広島大学歯学部非常勤講師。著書に『「運命」はひらける!』(プレジデント社)。