2025年4月号
新春特別講演会
開催報告

『致知』新春特別講演会
人間力を高める②

今大会には、
実に1,300名の愛読者が
参集されました

パーティーにて『致知』連載でお馴染みのお三方からいただいたご祝辞をはじめ、貴重なスピーチとご来場者様のお声を紹介します。

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    ご祝辞

    日本に人間学の実践者がいや すことを願って

    JFEホールディングス名誉顧問

    數土文夫氏

    ただいまご紹介にあずかりました、數土すどでございます。本日は「『致知』新春特別講演会~人間力を高める~」、誠におめでとうございます。

    人間学を学ぶとはどういうことか。人間がいかに生きていくか、根本を学ぶことです。これは我われにとって非常に重要なことです。

    けれどもおかしなことに世間一般の高校、大学、大学院には人間学という講座はないのであります。なぜないのかと、ここ数年考えていますけれども、2つくらい理由が浮かびます。一つは、人間学は実践しなければ人間学と認められない。もう一つは人間学を実践する教授がいないと、大学の講座は開けない。そんな人間力を持った学者、実践者はいま、いないんじゃないでしょうか。

    しかし、私は思いました。大学にはないけれども、人間学の教育を専門にやっている組織がある。それが致知出版社であると。

    本日は3人の先生方のお話が聞けると期待して来ましたが、期待以上の学びがあった、きょうは来てよかった! と思っております。(拍手)

    千玄室先生は、私の最初の印象は海軍提督。非常に威厳があり、人間というものに対して非常に深い造詣ぞうけいがある。きょうは自分はいかに生きてきたかと、まさに実践を示していただきました。

    そして、さらに実践の極致を示していただいたのは栗山氏じゃないかと、思いました。私は栗山氏より少し年を取っていますけど、何であんなに立派な人間ができたんだろうなと、先ほど一所懸命質問しました。

    そういう会に『致知』読者、1,300人の方々が参画されている。我が日本のためにこれから頑張らないと、一人ひとりが頑張らないとダメだ、本当にこう思いました。

    本日は本当に素晴らしい会に参画できまして喜んでおります。以上でございます。

    『致知』で学び合うことの大切さ

    文学博士

    鈴木秀子氏

    先日地方に行きました時に、一人の女性が近寄ってきて、「東京からいらっしゃいましたか?」って聞かれたんです。その時、私はすぐにピンときました。

    私のような無名の者に声をかけてくださるのは、だいたい『致知』の読者の方なんです。だから私、「ソウルメイトですね」って言いました。

    そして、その女性は『致知』を読みながらイチローの「小さなことの積み重ねが、とんでもないところへ行くただ一つの道」という言葉がとても心に響いたと話してくださいました。何を実践したらいいかなと思って『致知』を丁寧に読んだならば、胸にピンとくる言葉があったっていうんですね。あ、小さいことってこれでいいんだと思って、それをいつもノートに書き留めている。それを積み重ねて、何年間も『致知』を読み続けてきたという話をされていました。

    その人の話を聞きながら私が思い出したのは、アメリカで大変話題になっている本のことでした。健康で生き続けていくには何が必要なのか、60年間研究しその統計結果が発表されたんですね。その結果は何だと思いますか? 運動も食べ物のバランスも医療ももちろん大事です。でもそれより大きかったのは話す相手がいて話す場があること。最初は雑談でいいけれども、人間にはよい人になりたい、徳を積みたいという欲求があるから、それを満たす関わりをつくらない限り、本当の満足感は得られないって言うんです。

    これは高齢者だけではありません。若い時から『致知』を丁寧に読んで道標としながら、小さいものを積み重ねていく時に大きな結果がもたらされる。『致知』はそういう本なのではないでしょうか。木鶏会もっけいかいの学びでお互いに深め合っていくことは、日本を大きく変えていく原動力になると思います。

    この令和7年、新しい年の初めをこうして『致知』の愛読者の皆様と迎えることができたことに、まず感謝申し上げます。

    皆で『致知』に学んで富国有徳の国づくりを

    臨済宗円覚寺派管長

    横田南嶺氏

    『致知』の対談をきっかけに、栗山監督にご縁をいただいたんでございますが、実は私はあまり野球に興味も関心もなかったのでございます。坐禅だけをしてきました。ですから、普通であれば私があの世界一の栗山監督と出会うというようなことはあり得ません。でも、そんなあり得ないことを実現してしまうのが、この致知出版社でございます。

    栗山監督とのご縁のおかげで、野球はボールを投げて打つだけでなく、それを通じて人間とは何か、人というのはどう生きたらいいのかを極めているんだなと学び直すことができました。

    先ほどお話がありましたように、「2025年、日本は再びよみがえきざしを見せるであろう」という、森信三先生の言葉があります。そうだろうと思いながら、私もいささかの疑念をいままで抱いておりました。果たしてそういくかな、と。今日の世相を見るとそう思わざるを得ないところもあったのでございます。

    しかし、この致知出版社というのは、こういうあり得ないような奇跡を起こしていく力があるわけでございますから、皆さんと一緒に今年も『致知』を通じてこの人間学を学んで修養を深めていけば、2025年、日本は再び甦る兆しを見せるということは間違いないと確信をするに至りました。

    それには皆様方、今年も『致知』を通じて人間学を学び、一緒に日本を富国有徳の国にしていきたいと思うものでございます。

    本日は誠におめでとうございます。

    乾杯のご発声

    力の源ホールディングス会長

    河原成美氏

    皆さん、あけましておめでとうございます。きょうの新春特別講演会、本当に素晴らしかったです。毎年勉強になりますが、今年は巳年、変化・改革・創造の年ということで、感動が体に沁み入ってまいりました。

    千玄室大宗匠、栗山監督、そして藤尾社長、皆さんのお話を聞いていたら、ああそうかと。自分の居場所をいつも明確にしなければいけないなと思いました。僕は凡人ですけど、賢は賢なりに、愚は愚なりに。そして、そういう人が一人でも多く増えていかないと、この国は変わらない。

    実は去年の新春特別講演会にて、50周年までに『致知』の読者を20万人にするぞという決意をしました。今日もそうしたお話を乾杯の時にしようと思っていたんです。しかし、学校の先生をしている片川儀治よしはる氏の「『致知』読者を百万人にする」という手紙を聞き、僕の考えは浅はかだった、「僕は本当につまらないな」と思い知りました。志が違う。

    でも、僕は反省が早いんです。彼の話を聞いてこう思いました。去年、僕は30名ほどの方に『致知』を紹介して、読者になってもらったんです。(会場拍手)ありがとうございます。このように、11万8,000人がそれぞれ10人に紹介すれば、100万人にはすぐ辿たどり着くんです。これは実現できるぞと確信しました。勉強になりました、本当に。

    そういう思いで、この変化の年を歩んでいきます。さらにエネルギー溢れるこの会場で、みんなが杯を掲げたその瞬間に会場が大爆発するくらいのエネルギーを持って、乾杯したいと思います。

    2050年には再びこの日本の国が世界のリーダーとなっていくことを願いながら、若い仲間をいっぱい増やしていくんだという思いのもとに、志高らかに、朗らかに乾杯しましょう。乾杯!

    中締めのご挨拶

    日本BE研究所所長

    行徳哲男氏

    私はいま、重たいものを持っています。重量のことではないですよ? この月刊誌『致知』が持つ重厚感です。この重さをつくっているのは、深さですよ。我われ現代人は、広さを求めすぎています。大事なのは広さじゃない、深さですよ。そして、やはり厚みですね。

    いまから100年ほど前です。アインシュタインは、43日間にわたって日本を旅します。その時に我われ日本人にこんなことを言い残しました。「近代日本の発展ほど世界を驚かせた国はどこにもない。神が我われ人類のために日本という尊い国をつくっておいてくれたことに感謝する」と。日本人は尊い民族、高貴な民族なんです。やはり日本人にしか世界は救えませんよ。月刊誌『致知』には、その篝火かがりびになって世の中を照らしていただきたい。

    万歳三唱

    慶應義塾体育会野球部監督

    堀井哲也氏

    皆さんこんばんは。大変僭越せんえつではございますが、ご指名がありましたので務めさせていただきます。

    私は栗山英樹監督と同じ野球人であり、同い年ですが、先ほど横田南嶺先生から、監督が円覚寺で禅の体験をされ、鐘をいたというお話がありました。その時、監督は一点の迷いも躊躇ためらいもなく撞木しゅもくを撞かれ、澄んだ音色が響き渡ったと。栗山監督はもう迷いがない。しかし私はまだ迷いがあります。ですから私はその分、声を大きくして、きょうは頑張りたいと思います。

    それでは、私に続いて、皆さん元気よくご唱和願います。

    人間学の学びを発信し続ける致知出版社のますますのご発展と、人間学を学び続ける皆様のご健勝とご多幸を祈念しまして、万歳‼ 万歳‼ 万歳‼(会場拍手)