2023年3月号
特集
一心万変に応ず
  • 渡邊醫院副院長渡辺久子

子供の健やかな心を
育てる条件

児童精神科医として歩んだ50年

いじめ、不登校、引きこもり、拒食症、自殺……。商業主義や学歴競争の激しい現代社会を生きる子供たちは、かつてないほど複雑な心の葛藤を抱えている。半世紀にわたり、児童精神科医として子供たちに向き合い続けてきた渡辺久子先生に、心をいかに健やかに育むか、その要諦を伺った。

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葛藤を心に抱え込む現代の子供たち

いまほど、育児が難しい時代はないのかもしれない──。この実感は私が児童精神科医として、また2人の子供の母として働き始めた数十年前から、年々強くなっています。

慶應義塾大学病院の小児科で研修医として勤め始めたのは1973年。早いもので、この道に進んでから今年(2023)で50年を迎えようとしています。大学病院などでの勤務医を経て、現在は乳幼児・児童・思春期精神科医として、夫が院長を務める渡邊醫院いいんで副院長を務め、子供たちの診療はもちろん、子育て世代の親御さん方に向けた講演活動なども行っています。

これまで現場の最前線で数多くの子供たちと向き合い続けてきましたが、昨今の子供たちが抱えている心の問題は非常に複雑化しています。

日本は戦後の高度経済成長を経て、様々な犠牲の上に物質的にはとても豊かな時代を築いてきました。しかし、その一方で語られていない、たくさんの心の問題が子供たちの中に山積しているのも事実です。少子高齢化問題が叫ばれるいま、1番問題なのは子供の数ではなく、現に生きている子供一人ひとりが幸せではない、ということではないでしょうか。

実際、私が向き合う子供たちは、いじめ、不登校、引きこもり、拒食症、被虐待児、人工授精で生まれた子供、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など、その小さな体に工業化社会、競争社会が生んだ複雑なかっとうを抱え込んでいます。

彼らに共通するのは、言葉には出せない心の奥の気持ちを誰にも伝えられない、どこにいてもほっと心を休めることができない、ということ。そのことからくる安心感の欠如と寂しさが原因となり、様々な身体の症状や行動のゆがみが生まれてしまっていることです。

一人ひとりケースは違いますが、その原因を探っていくと、必ずといってよいほど、その子が育った家庭環境や生い立ち、これまでの体験の中に何かしらの原因があることに気づかされます。

さらに、その問題に深く踏み込むと、そもそも彼らの親御さんたちが「親身に寄り添う親になるように育てられていない」ということが浮き彫りになってくるのです。

いま、世間的には立派に見えるエリート街道を歩み、日本経済を担うような仕事をしていたとしても、「家庭づくり」ができない人が増えています。

親自身も、子供の精神的不調をきっかけに初めて自らを振り返り、自分の心の寂しさや喪失感に気づくというのは、往々にしてあることなのです。

渡邊醫院副院長

渡辺久子

わたなべ・ひさこ

昭和23年東京都生まれ。渡邊醫院副院長。慶應義塾大学医学部卒業後、同小児科助手、同精神科助手、小児療育相談センター、横浜市民病院精神経科医長を経て、ロンドンのタビストック・クリニック臨床研究員として留学し、精神分析と乳幼児精神医学を学ぶ。平成5年より慶應義塾大学医学部小児科専任講師。