2023年11月号
特集
幸福の条件
インタビュー①
  • タイヨー副社長清川照美

「タイヨーの奇跡」は
こうして実現した

鹿児島県を代表する有力企業であるスーパーマーケットのタイヨー。同社がかつて深刻な経営危機に陥った際、再建を主導したのが、清川照美氏である。多額の借入金、周囲の無理解……細腕に抱えきれないほどの試練を乗り越えて掴んだ経営の秘訣、そして幸福の条件。

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経営の素人が会社を再建

——事前にお送りした質問状で、「いま、最も力を入れておられること」とお尋ねしたら、「もちろん仕事です!」とストレートなお返事をいただいて感服しました。

いえいえ、経営をやっていますから当たり前のことを言わせていただいただけで(笑)。5年前から社長は息子が務めておりますけど、私もまだ副社長として第一線でバリバリやっています。

——御社は、鹿児島県を中心に93店舗のスーパーを運営されていますが、常々お店の巡回も積極的になさっているそうですね。

すべての答えは現場にあると考えているものですからね。先日は1日に29店回って過去の最多記録を更新しました(笑)。
いま特に力を注いでいるのが、店舗の標準化です。弊社のお店はチェーンストアとはいっても、規模も形もバラバラで、運営システムも十分統一されていませんでした。そこでお店のスタイルを4パターンくらいに集約して、本社が一括管理していけるように業務改革を進めてきました。過去最大の重要プロジェクトとして取り組んできております。毎年改革を進め、おかげさまで最終フェーズにこぎつけることができました。

——清川さんは、御社が経営危機におちいられた際も再建を主導されたそうですが、元々は前社長と結婚されて主婦をなさっていたと伺いました。

そうなんです。ですから経営のプロでもありませんし、大学院でMBAを取得するまでは、ビジネスを系統立てて学んだこともなかったんですよ(笑)。
私は24歳の時に前社長の和彦と結婚しました。創業者の義父からは、「照美さんは和彦の嫁ではない。タイヨーの嫁だ」と言われましたけど、当時はまだ何も分からず、その言葉を重荷に感じていました。
それでもとにかく主人を支えるのが自分の役目だと思いましてね。弊社の仕事を手がけるようになる前から、新聞雑誌の大事なところに線を引いて主人の机に置いておいたり、都市銀行様とお話しをしたり、読書の中で、少しずつ経営知識のようなものが身についてきたように思います。そのうちグループの焼肉店や酒チェーン店(当時63店舗)の立て直しに関わるなどして、少しずつ経営に関与するようになっていきました。

タイヨー副社長

清川照美

きよかわ・てるみ

1958年鹿児島県生まれ。スーパーマーケット、(株)タイヨーの2代目社長の妻として主婦業に勤しんでいたが、同社の監査役や取締役として経営に参画するようになる。2013年同社の危機に際してMBOを実施し、取締役副社長として社内改革を推進。10年で借入金454億円を完済した。2019年慶應義塾大学大学院MBA修了。タイヨー財団理事長、ケア・サポーターズクラブ鹿児島会長。著書に『崖っぷちの会社を立て直したスーパーな女』(ダイヤモンド社)『覚悟 未来に立ち向かう言葉』(日経BP)がある。