2019年5月号
特集
枠を破る
インタビュー①
  • 相澤病院最高経営責任者相澤孝夫

人に寄り添う医療を目指して

24時間、365日、どんな患者でも受け入れる――充実した救急医療体制で、全国の民間病院の注目を集め、地域の人々からも厚い信頼を得ている相澤病院(長野県松本市)。しかしかつては職員の離職が絶えず、病棟の一部は閉鎖に追い込まれ、赤字にも苦しめられていたという。その危機的状況を改革し、組織と人材を甦らせてきた相澤病院・最高経営責任者の相澤孝夫氏に、人生の原点、改革の軌跡とともに、これからの時代に求められる新しい医療への熱い思いをお話しいただいた。

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困っている人を助けるのは当たり前

——相澤さんが最高経営責任者を務める相澤病院は、「24時間、365日、どんな患者でも受け入れる」という救急医療体制で、地域の方々から「最後のとりで」として頼りにされているそうですね。
 
相澤病院は、田舎から長野県松本市に出てきた祖父が、「この地域を医療で守りなさい」と周りの支援を受けながら、千葉の大学で苦労して医学を学び、松本に戻ってきて開業したんです。それがいまから110年前なんですね。
祖父は「病気で困っている人には、どんな人であっても手を差し伸べる」との理念を掲げ、病気になった地域の方を昼夜問わずいつでも診察していたといいます。
その祖父の後を継いだ父も朝から晩まで働き通しで、患者さんから連絡があれば、たとえ夜中であっても診察に駆けつけるという具合でした。ですから、僕は幼い頃から、医師という仕事はそれが当たり前だと思っていました。

——まさに医師のかがみですね。
 
病院がだんだん大きくなってもその姿勢は変わらず、父は「自分が患者さんにとって最後の砦だ」ということで、家族を別の場所に住まわせ、自分は病院内の一室に部屋をしつらえて寝泊まりしていました。父が入学式や卒業式に来てくれた記憶はありません(笑)。
あと、時々往診に連れて行ってくれることもあったんですが、当時はまだ貧しい時代ですから、診察が終わって帰ろうとすると、患者さんが父の手を握って、「本当に助かりました。先生、この大根持っていってくれ」ってものすごく感謝してくれるんです。そして、馬や牛にかれた大八車だいはちぐるまに病人が乗せられて「助けてほしい」と病院まで来れば、父もスタッフたちも飛び出していって対応する。
思えば、幼い頃のこうした体験が、いまの私の医師、病院としてのあり方、関わり方のすべての原点のような気がするんです。

——ああ、すべての原点ですか。

ですから、当院の救急医療体制も、私からすれば特別なことではなくて、困っている人が来たら、医師も看護師も事務員も皆で協力して助けるのは当たり前だろうという思いがあるんですね。

社会医療法人財団慈泉会理事長、相澤病院最高経営責任者

相澤孝夫

あいざわ・たかお

昭和22年長野県生まれ。48年東京慈恵会医科大学卒業後、信州大学医学部第二内科入局。56年相澤病院副院長、平成6年理事長・院長就任。平成29年より現職。一般社団法人日本病院会会長。