2025年5月号
特集
磨すれども磷がず
鼎談
  • 志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃
  • 東海神栄電子工業会長田中義人
  • 幸栄企画社長鍵山幸一郎

鍵山秀三郎さんに
学んだもの

去る1月2日、弊誌でもお馴染みのイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏が91歳でお亡くなりになった。一代で国内有数の自動車用品チェーンへと育て上げたばかりでなく、トイレ掃除を社会運動にまで高め、「掃除の神様」の異名を取ったことはつとに有名である。その破格の人生が示唆するものは何か。鍵山氏と親交の深かった上甲 晃氏と田中義人氏、そして鍵山氏のご子息である鍵山幸一郎氏に在りし日を振り返っていただき、鍵山氏が我われに遺してくれたものについて語り合っていただいた。

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91年の人生で抱いた2つの悔い

田中 鍵山秀三郎さんが今年(2025年)の1月2日にお亡くなりになって、2か月余りが経ちましたね。私は鍵山さんのことを相談役と呼んできましたから、きょうもそうさせていただきますが、この2か月の間に、鍵山相談役の下で私が長らく会長を務めた「日本を美しくする会」の全国の仲間から本当にたくさんのご連絡をいただきました。どなたも異口同音に「鍵山さんのおかげでいい人生が歩めるようになりました」と感謝の声を寄せてくださって、相談役の影響の大きさを改めて実感しています。
幸一郎さんはいかがですか。ご長男として最後までお父様をそばで支えてこられましたけれども、少しは落ち着かれましたか。

鍵山 いろんな方から「お寂しいでしょう」と温かいお言葉をかけていただくんですけど、まだそんな余裕はないです。親父がお世話になった方々へのご恩に報いていくためにも、やらなければならないことが山ほどありますから。

上甲 鍵山さんは一度ご病気をわずらわれた後もお元気そうになさっていましたから、お亡くなりになったというのはいまだに信じられない気持ちですよ。

鍵山 最初に脳梗塞のうこうそくで倒れたのは9年前、82歳の時でした。親父は頑張り屋ですから一所懸命リハビリをやって、その後もまだ講演や対談をたくさん引き受けていました。ところが88歳の時に自宅で再び倒れて頭を打ちましてね、脳内出血を起こして大手術をしたんです。

田中 そこで命を取り留められたのは奇跡的なことでしたね。

鍵山 不死身ですよ。お医者さんがびっくりしていました。あの年であんな大手術をしたらおおむねあの世行きだと。それが回復しましたからね。
あいにく元気な頃のように体を動かせなくなったので老人ホームへ入ったのですが、会話は問題なくできました。ボケないためでもあったんでしょうけど、本もたくさん読んでいましたね。致知出版社さんの『立命の書「陰騭録いんしつろく」を読む』は2回も読んだそうです。
老人ホームで倒れて救急車で搬送されたのは12月29日でした。すぐに駆けつけましたが、最後まで意識は戻らなかったですね。搬送されてからはとても苦しそうでしたけど、息を引き取った後はとても穏やかな顔をしていました。
そんな晩年の親父が、2つ悔いがあると言っていました。

田中 それはどんな悔いですか。

鍵山 一つは、脳梗塞で手が不自由にならなければ、ハガキを10万枚書けていたかもしれないと。元気な頃に書いたハガキは85,000枚まで至っていたので、あのまま書き続けていたら10万枚までいっていただろう。それが悔しいと。
もう一つは、もっとタクシーに乗っていれば運転手さんにチップを渡せていただろうにと。親父は、短距離で乗って運転手さんの気分を害したくないからと、タクシーはほとんど使いませんでした。
けれどもたまたま病室で観たテレビ番組で、作家の池波正太郎さんが、タクシーに乗ると料金とほぼ同額のチップを運転手さんに渡していたという話を知ったんです。当時は乱暴な運転をする人が多かったけれども、チップを渡せば運転手さんは喜んで、せめてその日一日だけでもお客さんに親切にし、安全運転をするだろうと。親父の考え方とそっくりでしてね。「僕ももっとタクシーに乗ればよかったな」と(笑)。
それが91年の人生で親父が抱いた2つの悔いなんです。

鍵山秀三郎氏

受けた教えをいかに実践して生きるか

田中 私は鍵山相談役とご縁をいただいたおかげで掃除に学ぶ会を立ち上げ、30年にわたり活動を共にすることができました。これは何物にも代えがたい人生の宝です。掃除を通じて人の心のすさみをなくしたいという相談役の思いは、全国、世界にも共感を呼んで、活動の輪は小さな世界企業のように広がっていきました。相談役の下でその活動に参画させていただいたおかげでよき友ができ、本当にいい人生を歩ませてもらったと、出逢いに心から感謝しています。

上甲 鍵山さんがお亡くなりになったいま、私たちが一番問われているのは、自分の生き方だと思うんです。鍵山さんの薫陶を受けた人間の生き方があの程度か、と笑われるようなことは絶対に許されんなと。受けた教えをいかに実践して生きるか。さすがに鍵山さんから教えを受けただけのことはあるなと、言われるような生き方をしなければならんというのが、いまの一番の思いなんです。

鍵山 身内を持ち上げるようで恐縮ですが、親父に寄せられたお便りを整理しながらつくづく思ったことは、こういう人はこの先何百年もこの世の中に現れないだろうなということです。
例えば、親父と出会ったことで会社の業績が上がったというのは分かりやすいですよね。それ以上に私の心を捉えるのは、個人の方からいただいたお便りですよ。「相談役と出逢って人生が変わりました」と。別にその方は経済的に裕福になったわけでもない。けれども親父と出逢ったことで何かご自分の中に大きな変化が起こり、そのことにものすごく感謝なさっている。こういうお便りを私は大切に残しておきたいと思っているんです。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学教育学部卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』『人生の合い言葉』など。最新刊に『松下幸之助の教訓』(いずれも致知出版社)。