2019年3月号
特集
志ある者、事竟ことついに成る
  • 拉致被害者家族連絡会事務局次長飯塚耕一郎

母よ、必ず祖国へ

幼い2人の子供を残し、北朝鮮の工作員によって拉致された田口八重子さん。それから40年。いまなお田口さんの詳しい消息は掴めず、祖国の地を踏むことが叶わないまま現在に至っている。当時、1歳だった田口さんの長男で、現在拉致被害者家族連絡会の事務局次長を務める飯塚耕一郎氏に、自らの半生、そして拉致問題解決への志、母救出への強い思いを語っていただいた。

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幼い子供を残し母は突然姿を消した

私の実の母、田口八重子やえこ忽然こつぜんと姿を消したのは1978年6月のことでした。その当時、離婚したばかりだった母は、東京・高田馬場のベビーホテルに2歳の姉と1歳の私を預け、都内の飲食店で働いていたのですが、「八重子さんがまだお子さんを引き取りに来ません」と、埼玉に住む兄・飯塚繁雄宅に連絡が入ったのです。

しかし、母のアパートは特に生活が荒れたような様子はなく、勤め先でも「懇意にしていたお客さんと2日、3日、旅行に行ったのではないか」と、行方は知れません。そして1週間、1か月、半年経っても母は戻らず、私は飯塚繁雄・栄子夫婦の、2歳の姉は飯塚繁雄の妹夫婦の養子として引き取られることになったのでした。

その時、養父母には、9歳、8歳、6歳の3人の育ち盛りの子供がいました。後に聞くところによると、生活は楽ではなく、養父は私を引き取ることを悩んでいたそうですが、「八重ちゃんの子なんだから、自分が責任を持って育てていくから」と、養母が背中を押してくれたそうです。実際、養母はパートを辞めて育児に専念したくらい、私を実の子と同じように本当に大事に育ててくれました。

拉致被害者家族連絡会事務局次長

飯塚耕一郎

いいづか・こういちろう

昭和52年東京都生まれ。北朝鮮による拉致被害連絡会 事務局次長。実母である田口八重子さんの救出のため、日本政府や各地の講演などにおいて拉致の実態を伝え続けている。その傍ら会社員として職責を担う。