2020年12月号
特集
苦難にまさる教師なし
インタビュー①
  • 日本料理湯木店主湯木尚二

十字架を背負いながら
前を向いて生きる

2007年、老舗日本料亭・船場𠮷兆が起こした食品偽装問題は世間を震撼させた。経営陣の一人であった湯木尚二氏はいかにしてどん底から這い上がり、再び大阪の地で高級日本料理屋を4店舗経営するまでになったのか。苦境の末に掴んだ人生の真理と共に、今日までの歩みを伺った。

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湯木貞一氏の教えを受け継ぐ日本料理

——名料亭「吉兆きっちょう」の創業者である湯木貞一ゆきていいち氏の伝統を受け継ぎ、2011年にオープンされた「日本料理 湯木」は、大阪の中心街・北新地という立地ながら閑静かんせいたたずまいで風情が感じられます。

おかげさまで現在、大阪で四店舗を経営しています。「茶心ちゃごころの風流さを含んだ真心」というのが祖父である湯木貞一が提唱したおもてなしの流儀で、出逢いを大切にする「一期一会」、お互いの心を和らげてつつしうやまう「和敬清寂わけいせいじゃく」、一人の客人と一人の亭主という意味の「一客一亭いっきゃくいってい」といったお茶の精神でもって、料理をお出ししています。
「日本料理は味だけではない、心が大事だ」、これは暖簾のれん分けで「船場せんば吉兆」を率いることになった父の口癖でした。現在屋号は変わっていますが、吉兆の暖簾のもとで経験してきたこれらの教えを私の料理にも込めています。

——湯木さんがお店で大切にしていることはありますか?

料理・接客・座拵ざごしらえ、この3つが料理屋の柱ですから、これらに季節を感じていただけるように心掛けています。食材であれば当然旬のものをお出ししますし、食器やしつらえにも少し季節感を表現しています。例えばきょうこの部屋に飾ってある掛け軸は、須磨対水すまたいすいという「吉兆」の名付け親である画家が描いた柿の絵です。

——料理以外にもこだわり抜き、もてなされているのですね。

私は吉兆グループの跡取りの一人としてかなり特殊な環境で育ちましたので、生まれ持ったものや環境によってはぐくまれた味覚などがいまなお、料理人として働く上で役立っていると感じています。
昔は料亭と自宅は一緒になっていることが多く、私も船場吉兆の店舗の中で育ちました。ですから、家庭の台所イコール吉兆の厨房(笑)。わざわざ子供用の食材を仕入れることはありませんので、小学生の頃から車海老えびやスッポンなどの高級食材を食し、舌は随分とえていたと思います。

日本料理湯木店主

湯木尚二

ゆき・しょうじ

昭和44年大阪府生まれ。高校1年生の頃から実家である船場吉兆本店でアルバイトを始め、大学卒業後入社。平成7年、船場吉兆心斎橋店オープンに伴い店長に就任。11年福岡に新店舗を進出させる。19年食品偽装問題が露呈し、翌年1月に退職を余儀なくされた。22年10月に「南地ゆきや。」を開業し、23年3月に大阪・北新地に「日本料理 湯木」を開業。昨年9月に大丸心斎橋店に出店。現在、大阪で4店舗を経営する。