2023年6月号
特集
わが人生のうた
一人称
  • 学校法人玉川学園理事長小原芳明

若人わこうどよ、
人生の開拓者たれ

小原國芳が切り開いた教育の道

東京・多摩の緑豊かな丘に、幼稚園児から大学生まで延べ1万人の学生が集う学び舎が広がっている。〝最後の私塾創立者〟小原國芳が、教職員や生徒と雑木林を開墾して創設した玉川学園である。苦学の中で真の人間をつくる教育を求め、己の一切を注いで理想の学校を現実にしたその足跡、言葉は開拓者としての気概、夢に溢れている。

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玉川の教育に抱かれて

〈人生の最も苦しい いやな つらい 損な場面を真っ先きに微笑を以って担当せよ〉
これは私が理事長を務める玉川学園の創立者にして祖父・小原くによしが、教職員や子供たちに向けて掲げた〝玉川のモットー〟です。開学した昭和4年以来、折に触れて語られ、現在は学園の正門脇の石組みに刻み込まれています。

ここに込められた願いは、「開拓者精神を持て!」ということでしょう。誰だって、最初に挑戦するのは嫌なものです。失敗して笑われ、後始末に苦労し、損するかもしれません。しかしピラミッドの底に土台石が要るように、真っ先に困難に立ち向かい、担う気概ある人がいなければ何も実現しないことをこの言葉は教えてくれています。誰より祖父自身がそうして教育を開拓してきたのでしょう。その意味でこれは、祖父の人生の〝うた〟と言えると思います。

東京多摩の丘陵地、雑木林を開墾して創設された本学は、幼稚部から大学までが18万坪ある1つのキャンパス内に点在し、1万人の児童、生徒、学生が学び合っています。図書館の蔵書は100万冊を誇り、構内の目につくところに世界の名画の陶板が架けられているのも特色です。本物にこだわる、世界の一級品に触れさせるという祖父の教育思想の現れです。

また「玉川は歌に始まり歌に終わる」と言われるほど朝夕の時間の音楽教育を重視し、さらに週に1回、特定の宗教に限定せず礼拝を行います。道徳や法律はその国の宗教に基盤があることが多く、教育とは切り離せないからです。

そしてもう1つ欠かせないのが労作教育です。「自ら考え、自ら体験し、自ら試み、創り、行うことによってこそ、真の知育、徳育が成就する」。この考えの下、印刷・出版の仕事や事務室の電話番、まき割り、家畜の世話、田植え等々の労作をカリキュラムに含み、現在まで受け継がれています。

國芳の息子で2代目理事長を務めた父・小原哲郎の長男である私は、高校2年までこの学園で育ちました。思い返すと、祖父には事あるごとに「こっちへ来い」と呼ばれ、よく食事に誘われました。小学校6年生から地方出張でかばん持ちを任されるなど大変だった思い出は尽きませんが、初の男孫として、格別の思いを注いでもらったのは確かです。こうして直に見聞きした話を交えて、玉川モットーに象徴される祖父の開拓者人生を振り返ってみたいと思います。

学校法人玉川学園理事長

小原芳明

おばら・よしあき

昭和21年東京都生まれ。玉川学園小学部・中学部を経て、高等部2年次渡米。マンマス大学卒業後、スタンフォード大学大学院修了。62年玉川大学文学部教授。国際教育室長、通信教育部長、副学長を歴任し、平成6年より学校法人玉川学園理事長・玉川大学学長・玉川学園学園長。令和3年より日本私立大学協会会長。