2023年8月号
特集
悲愁ひしゅうを越えて
一人称
  • メモリーズ社長横尾将臣

遺品整理は人々の
命と心を守るレスキュー隊

遺品整理の第一人者として全国の現場を飛び回るメモリーズ社長の横尾将臣氏。その人々の心に徹底して寄り添う仕事の姿勢は、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられるなど、大きな反響を呼んできた。「遺品整理は心の整理」と説く横尾氏の歩みと実践から見えてくる、人生の出会いと別れ、悲愁を越えてよりよく生きる要諦、これから日本が取り戻すべき社会のあり方とは――。

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紆余曲折を経て遺品整理の仕事に飛び込む

将来の夢はレスキュー隊になって人の命を救うこと──小学生の時に描いた夢は、残念ながら実現することはできませんでした。しかしいま私は遺品整理のプロとして、多くの人の命や心を救っているんだという使命感を胸に、日々仕事に向き合っているのです。

遺品整理の天職と出合うまでにはきょくせつがありました。1969年、香川県で生まれ大阪で育った私は、いつも外を走り回っている腕白わんぱくな子供でした。一方、不思議と一度耳にした曲をリコーダーで吹くことができたことから、小学4年生の時に音楽の先生の勧めでサックスを習い始めました。

その後、レスキュー隊にあこがれたこともあって、高校ではラグビー部に入部。幸いにも大阪選抜に選ばれ、社会人ラグビーの強豪である本田技研工業に就職しました。

ところが、周りの選手との実力差に圧倒され、またをしたことも重なり、結局退社することになったのです。人生の最初の挫折でした。以後、得意のサックスのプロを目指して上京、ミュージシャンとして活動を続けました。

しばらくはサックスを演奏する楽しい日々を送っていました。しかし30歳を過ぎると、さすがにプロの世界でやっていく厳しい現実も見えてきます。ちょうどその時、母が難病をわずらい入退院を繰り返すようになったことで、サックス奏者の道をあきらめ大阪に戻ることにしました。これは人生の第二の挫折と言えるかもしれません。

そして民間企業に勤め始めた矢先、今度は祖母がお風呂で心臓発作を起こして突然亡くなりました。母は病身を押して香川の実家に戻り、何とか葬儀を済ませたのですが、最後に様々な片づけや遺品整理が残り、あまりの大変さにとうとう体を壊してしまいました。

そんな母の姿に接した私は、2つのことに気がつきました。1つには、超高齢化社会に向っているいま、遺品整理の作業を請け負う会社がこれから絶対に必要になってくるだろうということ。2つには、家族や遺族の思いをきちんと理解して寄り添える人材が、ますます必要とされてくるだろうということです。同時に、私にはラグビーで培った体力もある、音楽で培った感性もある、遺品整理の仕事に向いているかもしれないと漠然と考えるようになりました。

その後、勤めた民間企業の仕事は続かず転職。月給15万円の派遣社員として働き、「このまま俺の人生は終わるのか」と、あんたんたる気持ちで過ごしていたのですが、そんなある日、偶然、遺品整理会社の求人募集を見つけ、「これだ!」とすぐに飛び込んだのでした。2006年、37歳の時です。

メモリーズ社長

横尾将臣

よこお・まさとみ

昭和44年香川県生まれ。高校から始めたラグビーで大阪選抜に選ばれたことで、社会人ラグビーの強豪・本田技研工業に入社。怪我などにより退社した後はミュージシャンとして活動し、いくつかの職を経て、平成18年遺品整理会社に入社。20年独立してメモリーズを設立。以後、これまでに5000件を超える遺品整理に携わり、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に取り上げられるなど、日本における遺品整理の第一人者として活躍を続ける。