2023年8月号
特集
悲愁ひしゅうを越えて
対談2
  • 北海道光生舎理事長髙江智和理
  • シャボン玉石けん社長森田隼人

偉大な父の
志を継いで

事故で両腕を失った創業者によって立ち上げられ、北海道有数の企業グループへと成長した北海道光生舎と、17年続く赤字を乗り越え、健康と環境に安心な無添加石けんへの初志を貫いたシャボン玉石けん。髙江智和理氏と森田隼人氏は、それぞれに父親の志を継いで両社の経営に邁進している。人生の悲愁を味わい尽くした先代の破格の人生から、お二人は何を学んだのか。そしていかにして事業の継承を成し遂げたのか──。

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    当社には潰れる自由がない

    髙江 以前、森田社長のご講演を拝聴したことがありますけれども、御社が手掛けてこられた無添加石けんのお話にとても感銘を受けました。その時に見せていただいた映像で、合成洗剤の入った水槽では魚が死んでしまうのに、石けんを水槽に入れると、魚が平気でえさにして食べてしまったのが印象に残っています。

    森田 ありがとうございます。髙江理事長にご参加いただいたのはもう10年以上前だったと思いますが、その時の話を覚えてくださっていてとても嬉しく思います。
    「健康な体ときれいな水を守る。」というのが当社の企業理念で、体や環境に安心な天然素材だけで製造した無添加石けんを、いまも一貫して提供し続けています。
    おかげさまでこのコロナでは、ハンドソープの需要が急増しました。さらに健康や環境への意識の高まりも追い風となり、シャンプー、歯磨き、洗濯、食器洗いといった、コロナと関係ない商品も軒並み伸びて、年商は94億円に達しています。

    髙江 それは素晴らしいですね。あいにく私どものクリーニング業界はコロナ禍で大きな打撃を受けました。
    当社の売り上げは、一般家庭やホテル、レストランなどを対象とするクリーニング事業と、障がい者向けの就労支援事業として運営するクリーニング工場の収益で成り立っています。ところがこのコロナ禍でクリーニングの需要が激減しましてね。特にホテル関係は一時期1割くらいまで落ち込みましたが、ここへ来てようやく8、9割まで回復してきたところです。しかし一般家庭のクリーニングは、リモート勤務の浸透で背広を着る機会が減ったことなどから、日本全体で需要が2割消えてしまいました。これはコロナが収束しても戻らないと考えています。

    森田 私は無添加石けんを始めた父・森田光德みつのりの後を継いで経営をしていますが、理事長もお父様が立ち上げられた事業を引き継いで経営をなさっているそうですね。

    髙江 ええ。当社は障がい者の方々の雇用を支援するために、父・髙江常男が1956年に地元北海道のあかびら市で立ち上げた社会福祉法人を母体とする会社です。10数名の障がい者の方々と共に始めた事業を、父は自身も障がい者でありながら一代で100億円企業に育て上げました。

    森田 事業を成功させるだけでも大変な中で、ご自身が障がい者でありながら、しかも他の障がい者の方々の雇用を守りつつ会社を成長させてこられたのは並大抵のことではありませんね。

    髙江 父は生前、「会社にはつぶれる自由がある。だけどうちが潰れたら、うちで働いている障がい者は行き場を失ってしまう。だからうちには潰れる自由はないからな」と言っていました。

    北海道光生舎理事長

    髙江智和理

    たかえ・ちおり

    昭和35年北海道生まれ。58年法政大学経済学部卒業、北海道光生舎入社。常務理事を経て、平成13年理事長に就任。

    3,300ボルトの高圧電流に直撃して

    森田 お父様はどういういきさつで事業をお始めになったのですか。

    髙江 少し長くなりますが、父の生い立ちからお話しさせていただきます。
    父は1927年に北海道のあしべつに生まれました。私の祖父である父親が炭鉱夫でしたので、程なく家族と共に炭鉱の町として栄えていた赤平に移ってきました。本人いわく、子供の頃はガキ大将だったそうですが、10歳の頃竹とんぼが眼に当たり怪我をして、それが原因で右眼を失い義眼となりました。そこからひどいいじめに遭うようになって奥尻島へ養子に出されたのですが、私の祖母である母親が病にかかったため15歳の時に赤平に戻りました。結局母親は亡くなり、父はその後先輩ので釧路原野に電信柱を立てる仕事に就いたのです。
    それから半年経った12月末のことでした。電信柱に登って電線を張る作業をしていた時、まだ流れていないはずの電気が流れていましてね。3,300ボルトの高圧電流に触れ両腕が丸焼けになり、10メートル下の積雪の上に落下したんです。

    森田 3,300ボルトの高圧電流で両腕が……。

    髙江 本人はその瞬間の記憶がないそうですが、下で作業していた職員は、父の両腕から火花が飛ぶのを見たそうです。
    腕と一緒に肺の一部も焼けてしまったのでしょう、息をすると雪の上に真っ赤な血がほとばしって、「きれいだな、ここは天国なのかな」と思ったところで意識を失ったと話していました。
    すぐに地元の病院に運び込まれましたがそこでは対応できず、命を維持できる保証もないまま、列車で2、3時間かけて釧路まで運ばれることになりました。ところが釧路でも「とても治療できる状態ではない」とたらい回しにされ、ようやく受け入れてくれた桑野病院で、心臓にカンフル剤を打たれて何とかせいしたそうです。
    しかし、変色して倍以上にれ上がり、し始めた両腕は切断するしかありませんでした。既に神経は死んでいたため、手術は麻酔なしで四度に分けて行われたそうです。それでも切断するとふっと体が軽くなるので、「あ、いま腕が落ちた」と分かるそうです。切断した切り口からの出血を見逃すと死んでしまうので、その度に付き添いに来ていた祖父が大声で先生を呼んで止血してもらったそうです。
    その病院に入院していた3か月は、自分の体が腐っていく臭いをぎながら、地獄のような日を過ごしていたと話していました。

    シャボン玉石けん社長

    森田隼人

    もりた・はやと

    昭和51年福岡県生まれ。平成12年専修大学経営学部卒業、シャボン玉石けん入社。取締役、副社長を経て、19年社長に就任。