2019年6月号
特集
看脚下
対談
  • (左)臨済宗円覚寺派管長横田南嶺
  • (右)駒澤大学総合教育研究部教授小川 隆

自分の心を見つめて生きる

看脚下、己の足下を見よ――。禅の名問答に由来する訓戒である。慌ただしい日常に翻弄されがちな私たち現代人が、各々の原点を見失うことなく、実り多い人生を創造していくには、いかにすればよいだろうか。修行の世界に身を置き禅の神髄を追求し続けてきた横田南嶺氏と、学問の世界から禅と向き合ってきた小川 隆氏に、異なる角度から見た禅の魅力を交えながら、この名言が教えてくれるものについて語り合っていただいた。

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禅の道へ分け入った原点の場所で

横田 小川先生は、禅の学問の世界ではいまや押しも押されもせぬ第一人者でいらっしゃいますが、きょうは私の原点である白山はくさん道場で対談の機会をいただいてとてもありがたく思っています。

小川 横田老師はこの白山道場で出家なさったのでしたね。

横田 そうなんです。私は子供の頃から禅に興味がございましてね。大学に進学して地元の和歌山から上京した際に、中学生の頃からご縁をたまわっていた松原泰道たいどう先生に「坐禅をするにはどこがよいですか?」と相談を申し上げたところ、「白山道場の小池心叟しんそう老師の所へ行きなさい」と勧められたのです。

心叟老師が京都の建仁けんにん寺で修行してからここへ移ってきた昭和30年には、焼け野が原に立つ六畳一間のバラックだったそうです。「京都で20年近く修行した結果が、あの六畳一間だった」とよく聞かされたものです(笑)。当初は檀家だんかも少なかったので、老師は爪に火をともすような切り詰めた生活をずっとしながら、一代でここまで立派な禅道場を築き上げられたのです。戦後はコンクリートで復興したお寺がほとんどですが、木造のものを建てたいと願って木造二階建ての本堂をつくられました。境内には駐車場をつくらず庭をつくれというのも老師の教えでした。お参りに来られた人に排気ガスを吸わせてはならんし、綺麗きれいな庭を見て一瞬でも「あぁいいな」と心をなごませていただきたいという老師の願いでした。

小川 素晴らしい志ですね。

横田 私は学生時分にこの裏にあった三畳一間の部屋に住まわせていただいて、修行をしながら学校へ通っていました。
いま私は普段円覚寺えんがくじにおりますけれども、毎月一度はここへ帰って来て坐禅会を行っています。その時は一人の修行僧に戻るんです。きょうはそういう私の原点ともいうべき場所で、いみじくも「看脚下かんきゃっか」というテーマで対談させていただくのは、とても感慨深いものがございます。

臨済宗円覚寺派管長

横田南嶺

よこた・なんれい

昭和39年和歌山県生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。近著に『自分を創る禅の教え』、共著に『生きる力になる禅語』(ともに致知出版社)がある。

『臨済録』をもう一度謙虚に勉強し直す

横田 小川先生には昨年、私ども円覚寺の管長であった釈宗演しゃくそうえん老師の没後100年に、老師の著書である『禅海一瀾ぜんかいいちらん講話』(岩波文庫)の復刊に一方ひとかたならぬご尽力を賜りましたけれども、最初のご縁は『臨済録りんざいろく』の講義をお願いしてからでしょうか。

小川 一番最初は、恐らく老師もご記憶にないかもしれませんけど、私の研究室で学んでいたステファン・グレース君というニュージーランドの留学生を通じてのご縁でした。彼が円覚寺様へ見学に伺った時に、たまたま通りかかった作務衣さむえ姿の和尚様に、鈴木大拙だいせつが住んでいた正伝庵しょうでんあんの場所を尋ねたら、とても親切に案内してくださって、お茶まで振る舞ってくださった。その和尚様が何と横田老師だったんです。
ステファン君がお礼のお手紙を出したいと言うので、私の著書も同封してもらったら、老師から筆で書かれた立派なお返事をいただいて、我われ二人でいたく感激したというのが、老師との最初の接点でした。

横田 あぁそうでしたね。小川先生のお名前は存じ上げておりましたから、彼が小川先生のもとで勉強していると聞いて印象に残っていました。あれは確か5、6年前で、『臨済録』を通じてご縁が深まったのはその後でしたね。
小川先生には申し訳ないんですけれども、我が円覚寺は10代管長の朝比奈宗源あさひなそうげん老師の訳した『臨済録』に誇りを持っておりました。ところが学問の世界ではその解釈がもう古いと言われるようになって、平成元年に小川先生の師匠に当たる入矢義高いりやよしたか先生の訳に変わってしまった。先代管長の足立大進だいしん老師は非常に残念がっていたのです。私は逆にそういう新しい解釈を学んでみたいとずっと思っていました。それで、臨済禅師の没後1,150年の催しを行う中で、『臨済録』をもう一度謙虚に勉強し直そうという話をお坊さん方とする中で、いま最も講師に相応ふさわしいのは駒澤大学の小川教授だろうという話になったわけです。
あれから4年になりますが、小川先生にはいまでも毎月1回、2時間の講義を続けていただいて、本当にありがたい限りです。

小川 進捗しんちょくがはかばかしくなくて、申し訳ない限りです(笑)。

横田 いえ、それくらい丹念に解説をいただいているわけですから。それに、私は小川先生がいつも原文を美しい中国語で読んでくださるのに聞きれて、ひそかに中国語の勉強を始めたくらい感化されています(笑)。
禅は長い間、学問の世界と我われ修行の世界に大きく隔絶した部分があって、お互いに歩み寄ろうとしてきませんでした。修行の世界の人は学問の世界の人に対して、禅は頭で理解できるものではないという拒否反応がありますし、恐れながら学問の世界の人は私どもを、いつまでも古めかしい読み方に固執していると見られている。しかし、いつまでもそんなことをやっていては何も生まれませんからこの勉強会を始め、私も小川先生の講義を毎回最前列で拝聴して学び、たまに文句を言わせていただいているわけです(笑)。

小川 老師はいつもびっしり書き込みの入った本を持ってみえられますね。私があやふやな説明をして、老師が首をかしげながらその本をめくり始められるともう心臓が止まりそうで(笑)。毎月厳しい口頭試問を受けているようなものですよ(笑)。

横田 とんでもありません(笑)。小川先生の講義のおかげで、毎回新しい発見をたくさんさせていただいております。

駒澤大学総合教育研究部教授

小川 隆

おがわ・たかし

昭和36年生まれ。岡山県出身。58年駒澤大学仏教学部禅学科卒業。昭和61年~平成元年日中政府交換留学生として北京大学哲学系高級進修生。平成2年同大学院仏教学専攻博士課程単位取得。現在、駒澤大学総合教育研究部教授。文学博士(東京大学、平成21年)。著書に『「臨済録」─禅の語録のことばと思想』(岩波書店)『禅思想史講義』(春秋社)など。なお、横田南嶺師解説の釈宗演著『禅海一瀾講話』(岩波書店)の校注も務めた。