2019年8月号
特集
後世に伝えたいこと
対談
  • (左)エッセイスト鮫島純子
  • (右)文学博士鈴木秀子

人生を幸せに生きる知恵

この世は愛の練習所

渋沢栄一の令孫でエッセイストの鮫島純子さんは現在97歳。幼い頃の新渡戸稲造との偶然の出会いで人生の真理に目覚め、霊覚者・五井昌久との邂逅によって揺らぐことのない信念を得て人生を歩んできた。道を求め安心立命ともいえる境地に至った鮫島さんはいま何を思い、何を後世に伝えたいと考えているのか。長年の親交がある文学博士の鈴木秀子さんとともに語り合っていただいた。

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97歳で続ける講演活動

鈴木 鮫島さんとは随分長いお付き合いになりますけど、いつお会いしてもお若くていらして……。

鮫島 いえいえ。少し前までは元気でしたのに、さすがに97歳ともなりますと、目も耳も鼻も、体のあちこちにガタがきてしまいました。

鈴木 しかし、しゃきっとした立ち姿や歩かれる姿勢は本当に見事です。きょうも3階のこの会場まで階段を上ってお見えになったじゃありませんか。

鮫島 毎朝1時間ほど参詣さんけいがてら明治神宮のご境内を散歩しておりますので、足腰が丈夫でいられるのはそのおかげだと思います。これは長い間の習慣ですけれども、体が動かなくなって嫁の世話になるのは申し訳ないと思って、努めて歩くことを心掛けております。

鈴木 いまでもご講演などを続けられていて、お忙しくされているそうですね。

鮫島 「その時、体調がよければ」ということを前提にお引き受けしておりますが、それでかえって元気をいただいております。鈴木先生ほどではありませんが、この年になるまで他人様ひとさまのお役に立てること、忙しくしていられることは、ありがたいと思っております。
実は私、去年7月に心筋梗塞こうそくになりましたの。その痛みが3日3晩続きましたが、いい死に時かと心を整えて祈っていましたら、治りました。
祈りの力に感謝して「やっぱりお祈りってすごいわ」と嫁に話したら、「私たちを安心させるために、ちゃんとお医者さんに行ってください」と病院に連れて行かれて即入院。ステントを入れる手術で、2週間入院しました。
その時はさすがに講演の予定はキャンセル。ご迷惑をおかけしましたが、こうして入院するのも、神様のおはからいだったように思います。すべて御心みこころのままにという心境です。

エッセイスト

鮫島純子

さめじま・すみこ

大正11年東京生まれ。昭和17年結婚。祖父は渋沢栄一、父は栄一の三男で実業家の渋沢正雄。著書に『なにがあっても、ありがとう』(あさ出版)『毎日が、いきいき、すこやか』(小学館)『祖父・渋沢栄一に学んだこと』(文藝春秋)など。

真理への目覚めを促した老紳士との出会い

鈴木 普通、心筋梗塞といったら発作が起きた途端に不安になって、そんなに落ち着いてはいられませんものね。だけど、鮫島さんはお祈りすることでマイナスの考えに乗っ取られることなく、穏やかに過ごされたわけですね。私はそこに鮫島さんが生きる上での信念を感じるのですが、その覚悟はどのようにしてできたのでしょうか。

鮫島 私が40歳になる前、「世界平和の祈り」を提唱なさった五井昌久ごいまさひさ先生とご縁をいただいたことは、私の人生にとって大変大きな出来事でした。
3人の子供を育てる中で、よそのお子さんと我が子を比較しては一喜一憂している自分に気づいて「こんな母親ではしょうがないな。自分を変えたい」と思って飛び込んだのが近所のキリスト教会でした。ところが、それから10年間、『聖書』のお話をお聞きしていても、私にはピタッとくるものがなかったのですね。
そういう時にたまたま五井先生のご本を手にして感銘を受け、以来、昭和55年に64歳で帰神されるまで親しく教えを受けるようになりました。五井先生とお会いして、それまで分からなかった『聖書』の聖句の意味がよく分かるようになりました。

鈴木 人生の真理を求める心を決して投げ出さなかったことの実りですね。

鮫島 ちょっとやそっとの思いではなく、小さい頃からいつも真理を求め続けておりましたから……。

鈴木 小さい頃から?

鮫島 はい。私が小学校低学年の頃、家族で汽車に乗って名古屋に行ったことがあります。父と一緒だと贅沢ぜいたくな2等車に乗せてもらえますから、私たちきょうだいはガラガラの車内のあちこちに散って思い思いに一人旅の気分を味わっておりました。
背中合わせに座っておられた白髪の紳士とふと目が合い、その方がニコッと笑いかけられました。しばらくすると、「お名前は」「お歳はいくつですか」「どこまでゆかれますか」などと書かれた紙が渡され、私はその度に「純子すみこでございます」「名古屋まで」などと返事を書いて老紳士にお渡ししておりました。

そのうちにご自分の席に招かれて「ご家族とこうやってご一緒に旅ができるってお幸せですね。どなたのおかげでしょう」と促してくださいました。私の指を一本一本折り曲げながら「お父様、お母様……」と次々に名前を挙げられた後、「雨も大事ですね。お日様も大事ですね、それはどなたがくださったのでしょう」と、すべてを動かしておられる神様という存在に気づかせてくださいました。
父が「もうそろそろ名古屋に着くから用意しなさい」とそばに来た時、「おや、新渡戸にとべ先生じゃいらっしゃいませんか」と。新渡戸稲造いなぞう先生は父の一高時代の校長で、祖父ともご昵懇じっこんでした。私には新渡戸先生がそんなにお偉い方だとは分かりませんでしたけれど。

新渡戸稲造©国立国会図書館「近代日本人の肖像」

鈴木 新渡戸先生との出会いを通して、神様が自分の命とつながっている身近な存在であるということを感じられたんですね。

鮫島 それが真理への目覚めだったのでしょうか。他のきょうだいではなく私だけが先生とお話しできたことを考えますと、神様から何らかの使命をいただいたようにも感じております。
主人を見送っていろいろと考える時間が多くなったせいか、この頃では私には長年学んできた宇宙の方程式のようなものを皆様にお伝えする役割があると思うことも多くなりました。

文学博士

鈴木秀子

すずき・ひでこ

東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。聖心女子大学教授を経て、現在国際文学療法学会会長、聖心会会員。日本で初めてエニアグラムを紹介したことで知られる。国際コミュニオン学会名誉会長。著書に『幸せになるキーワード』(致知出版社)『9つの性格』(PHP研究所)など。最新刊に本連載の感動的な話をまとめた『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』(致知出版社)。