2023年6月号
特集
わが人生のうた
インタビュー②
  • ぬちまーす社長高安正勝

〝奇跡の塩〞
ぬちまーすの力で
人類を救う

生命体が健康に生きる上で必要な高品質のミネラルが21種類も含まれ、〝奇跡の塩〟として国内外から注目を浴びている「ぬちまーす」。その製塩・販売、普及に情熱を燃やす高安正勝氏に、国際的な特許を取得した世界初の特殊製法「常温瞬間空中結晶製塩法」の開発秘話と、ぬちまーすに秘められた力、「塩で人類を救う」という志について語っていただいた。

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人生を決定づけた父の晩酌

——自然あふれる沖縄の離島、宮城みやぎ島で高安さんが製塩・販売している「ぬちまーす」には多様なミネラルが豊富に含まれ、〝奇跡の塩〟と呼ばれているそうですね。
一般的な塩とぬちまーすは、具体的にどう違うのでしょうか。

それを分かりやすく説明するには、少し長くなりますけれども、やはり私の生い立ちからお話ししたほうがよいと思うんです。
私は1947年、沖縄県具志川市(現・うるま市)に生まれました。父は横須賀海軍学校で訓練を受けている最中に終戦を迎えたのですが、4歳上の姉は父が戦争に行く前に生まれた子で、私は戻って来てからの子なんですよ。おそらく父は、絶対に勝つと信じ込まされていた戦争に負け、「日本人は世界の最劣等国民になり下がってしまった」「この子たちも世界の最劣等国民なんだ」という意識で戦後を生きていたのだと思います。
ところが、1949年に物理学者の湯川秀樹さんがノーベル賞をもらうんですよ。すると、「まだ日本人も捨てたもんじゃない」と父の心に光が灯ったのでしょう。毎日晩酌する時、小学1、2年生の私に沖縄民話や聖徳太子、木下藤吉郎(豊臣秀吉)、一休さんなどの話を聞かせてくれるわけです。

——ああ、毎晩、偉人の話を。

そして小学3年生になった頃からは、湯川秀樹さんやエジソンの話が主になりました。不思議なもので、毎日そうした話を聞かされていると、学校の成績も中くらいだった私が、自分も湯川秀樹さんのような素粒子物理学者になろうという気になったんです。
実際、素粒子物理学者を目指して理数系を一所懸命に勉強するようになり、中学3年生の時には成績がクラス上位に入りました。

——その後も素粒子物理学者を目指して努力を重ねていかれた。

ええ、高校受験では各中学校から優秀な生徒が集まる理数科に合格することができました。
ただ、大学は希望通りに進めませんでした。当時沖縄は日本に復帰する前で、本土の大学を目指す沖縄の高校生を選抜する国費・自費沖縄学生制度があったのですが、私は2次の面接で落ち、希望の大学に行けませんでした。それで琉球大学物理学科に入ったわけですが、そこには素粒子物理学を専攻できる環境がなかったんです。

——どうなさったのですか?

いまさら別の大学には行けないし、とにかく何か物理に関する勉強がしたいと思っていたところ、量子力学の誕生に大きく貢献したシュレーディンガー博士が1944年に刊行した『生命とは何か』に出合ったんです。もともと生物学は苦手だったのですが、この本の影響で物理でも生物・生命について考えることができるんだと、生命現象に俄然がぜん興味を持ち、生物物理学を勉強するようになりました。大学にはその科目もなかったので、独学で学びました。
いろんな専門書や資料を読みあさっては、その著者の方と「あなたはそう思う? いや、僕は違うよ」というように(笑)、頭の中で議論をしながら、地球誕生や生命の起源、進化の過程について自分なりの考えを深めていったんです。
その独学と議論は、琉球大学を卒業して地元の南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)に就職してからもずっと続きました。

ぬちまーす社長

高安正勝

たかやす・まさかつ

昭和22年沖縄県具志川市(現・うるま市)生まれ。47年国立琉球大学理工学部物理学科卒業後、南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)入社。60年同社退社後、洋蘭栽培に携わる。平成9年独自の製塩技術「常温瞬間空中結晶製塩法」を開発し、ベンチャー高安有限会社(現・株式会社ぬちまーす)を設立、「ぬちまーす」の製塩・販売を開始する。12年ぬちまーすが「ミネラル含有種類世界一」としてギネス認定。19年社をうるま市与那城宮城に移転し「ぬちまーす観光製塩ファクトリー」を設立する。特許庁長官賞(知財功労賞)、文部科学大臣賞(技術部門)など受賞多数。令和4年「旭日単光章」受章。著書に『世界一の海塩 ぬちまーすの力』(幻冬舎)がある。