歴史に名を残す野球選手は数多いが、不治の病を抱えてプロ入りし、現役の16年間を一球団に捧げ、観る者に勇気を与えた存在は他にいるだろうか。岩田稔投手は幾度となく偏見、怪我、黒星に泣かされながら、決して自らマウンドを降りることはなかった。多くの同病者に憧れられる氏の半生を通じ、自分自身の幸福を掴む鍵を探る。
阪神タイガースコミュニティアンバサダー
岩田 稔
いわた・みのる
昭和58年大阪府生まれ。大阪桐蔭高校2年次の平成12年、17歳で1型糖尿病を発症するも、関西大学を経て18年ドラフト希望枠で阪神タイガース入団。20年投手としてプロ初勝利、翌年第2回WBC日本代表に招集される。持病の啓発活動と共に16年間を同球団で投げ抜き、令和3年現役引退後、1型糖尿病啓発活動を行うためFamily Design Mを設立。近著に『消えそうで消えないペン』(ベースボール・マガジン社)がある。