2018年1月号
特集
仕事と人生
特別講話
  • シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ井村雅代
特別講話

人を育てる

愛があるなら叱りなさい

仕事も人生も、自分が投じたものしか返ってこない。リオオリンピックのシンクロ種目で日本に復活のメダルをもたらした井村雅代さんの活躍は、この真理を語って余りある。過去に選手を率いた9度のオリンピックで、すべてメダル獲得に成功してきた井村さん。その指導法は、巷に流布する〝鬼コーチ〟という言葉だけでは表しきれない。井村さんはいかに自身の仕事と人生に向き合ってきたのか。2017年9月9日、「『致知』愛読者の集い全国大会in京都」における白熱のご講演をここに紹介する。

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この環境の中から金メダルは生まれる

皆様こんにちは。ただいまご紹介にあずかりました井村でございます。

『致知』と出合ったのは15年前、プロ野球の村田兆治さんと対談をさせていただいた時から愛読しています。最近の若者は本を読むことを嫌う人が多いんですけど、『致知』は若者こそ読むべきだと思います。誌面に登場される方々の生き様、考え方を自分の中でシェイクして、自分に必要なものを心に刻んでいく。ぜひそういう読み方をしてもらいたいと思います。

さて、前回のリオオリンピックは、私にとりまして9回目のオリンピックでした。次の東京オリンピックは10回目です。最初から9回も10回も行こうと思っていたわけではなく、気がついたら9回も行っていたんです。

なぜ9回も行くことになったのか。それはオリンピックに臨む度にやり残し、心残り、無念さがあって、次はこうやったら選手は世界でどう評価されるだろうと考えていたら、9回になっていたわけです。もし1回目や2回目で金メダルを取れていたら、もう私はやり切ったと満足して、たぶんここまではきていなかったのではないかと思います。

9回目のリオオリンピックでは、試合に臨む前から厳しい試練に立たされました。選手村の環境がこれまでで最悪だったのです。トイレは詰まる、シャワーは途中から水になる、パンは粉のようにパサパサ、レタスは茶色、バナナは真っ黒。いまの豊かで清潔な日本で育った選手たちにはかなりのストレスだったと思います。

最もひどかったのが試合用のプールでした。プールに藻が発生して水がどんどん緑色になっていったことは、ニュースでご存じの方も多いと思います。それだけならまだ対処できるのですが、水に潜った選手たちから「先生、藻だけじゃないんです。小さな泡だらけで水の中が全然見えないんです」と言われて、バクテリアが発生していることが分かりました。その水を飲んだら病気になりますから、これはさすがにダメですよね。

それが分かったのが前日の夕方でした。近くにある別のプールの水を急遽きゅうきょポンプでみ出して移すことになりましたが、試合当日の朝になっても、水深3メートルのプールにまだ2メートルしか水が入っていない。私は、これではとても間に合わないと思い、他国のコーチたちと一緒に「試合前に一回でもいいから選手たちに練習をさせたいので、給水を急いでほしい」と組織委員会に訴えに行き、何とか事なきを得たのでした。

とにかく最悪の条件の中で臨んだオリンピックでしたが、そんな時、選手の前に立つ私が絶対にしてはいけないことは、愚痴ぐちを言うことです。「こんなオリンピックってないよ」と言ったら、皆も愚痴を言い始めます。まずは、これがリオオリンピックなんだと認めること。そして私は選手たちに「この環境の中から金メダルは生まれるのよ」と言いました。条件はどこも一緒なんだと。

そこに至るまでに徹底的に仕上げてきた国は、何が起こってもやっぱり崩れないんです。崩れない国の第一番はロシアでした。二番目に崩れなかったのは、たぶん日本だったと私は思います。

シンクロに限らず、文句ばかり言っている方というのはまだ力が余っています。本当に苦しい時はもう文句も出ません。その現状を受け止めてどう乗り越えようかと考えるんです。あの時の私がまさにそうでした。文句ばかり言っていることに気づいた時、自分にはまだ余力があると思ってください。本当に苦しくなる一歩手前なんだと思ってください。そんな中でリオオリンピックは行われたのです。

シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ

井村雅代

いむら・まさよ

大阪府生まれ。中学時代よりシンクロナイズドスイミングを始める。選手時代は日本選手権で2度優勝し、ミュンヘン五輪の公開演技に出場。天理大学卒業後、大阪市内で教諭を務める傍ら、シンクロの指導にも従事。昭和53年日本代表コーチに就任。平成18年より中国、イギリスの指導を経て、26年日本代表ヘッドコーチに復帰。リオ五輪ではデュエット、団体とも銅メダルを獲得。五輪でのメダル獲得数は通算13個となる。著書に『あなたが変わるまで、わたしはあきらめない』(光文社知恵の森文庫)『井村雅代コーチの結果を出す力』(PHP研究所)など。