去る5月1日、弊誌でもお馴染みの作家・神渡良平氏がお亡くなりになりました。享年75でした。
神渡氏は、昭和23年鹿児島県生まれ。九州大学医学部を中退後、雑誌記者などを経て作家に転じ、数多くの作品を発表してこられました。
弊誌では、連載「地湧の菩薩たち」で毎回野に埋もれた真人を発掘して好評を博した他、対談や寄稿で何度も誌面を飾っていただきました。「『致知』は先賢の知恵を活用させてくれるかけがえのない雑誌」と深い共感を寄せてくださいました。
また当社より、『はだしの聖者』『宇宙の響き──中村天風の世界』『安岡正篤──立命への道』『下坐に生きる』などの書籍を発刊され、読む人に生きる指針を示してこられました。令和3年発刊の『人を育てる道──伝説の教師 徳永康起の生き方』が、当社からの最後の作品となりました。
神渡氏が人生の転機を迎えたのは38歳の時。脳梗塞で倒れ一時は半身不随となりましたが、懸命にリハビリを重ね、見事に社会復帰を果たされました。その壮絶な体験が「魂の夜明け」に繋がり、一度しかない人生をいかに生きるべきかが、神渡氏の執筆活動を貫くテーマになったのです。
『致知』の対談では、闘病中に出合った孔子の「女、画れり」という言葉に、おまえは自分を見限っている。でも人間の生命力はそんな安っぽいものじゃないぞ、と大きな力を得た旨を述懐しておられます。
「当時の私はすっかり落ち込んで『もう一歩も歩けない。字も書けない。俺の人生もこれで終わりだ。どうやって食べていったらいいんだろう』と悶々として日々を送っていたんです。
それだけに、この言葉に触れた時『孔子のこの言葉はいまの自分にこそ必要なものだ。病気になり、後がない状態に追い込まれないと目が覚めないから、天はこのような試練を与えてくださったのだ。これは天罰ではない。神の導きなんだ』と強く思いました。それが私の再出発となりました」
そして闘病中に執筆された『安岡正篤の世界』がベストセラーになり、作家としての道が大きく開けたのでした。
晩年のご対談では、
「これからは体力からいってもそんなに書けなくなるでしょうが、遺書を書き残すような気持ちで一作一作、全生命を懸けていきたいと思います」
と強い意気込みを示されていました。まさにこの言葉通りの作家人生を全うされました。
生前のご厚情に心より感謝申し上げますと共に、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。