2019年12月号
特集
精進する
  • 在宅看護研究センターLLP代表村松静子

看護の道を歩み続けて
見えた世界

日本で初めて看護師として独立開業し、在宅看護の道なき道を切り拓いてきた在宅看護研究センターLLP代表の村松静子さん。看護の道一筋に精進し、これまで数1,000人の生と死に向き合ってきた村松さんが語る、自分らしく生き、自分らしい幸福な最期を迎えるために大切なこと――。

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出会いの中で培われた看護師としての使命感

私が看護の道に進んだのは、何か明確な使命感があったからではありませんでした。子供の頃から理系の勉強や動植物が好きで、中学ではバレーボール部に所属、高校では生物クラブでメダカや植物の研究に取り組んでいました。

ですから、進路を決める際も、病理学や生理学といった興味のある分野が学べそうだという理由で秋田県内の赤十字系の学校を受験し、結局、日本赤十字中央女子短期大学への進学を決めたのです。

そのため、いざ現場で看護実習が始まると、コミュニケーションが苦手な私はなかなか患者さんと話すことができませんでした。もうどうにもならなくなって、病院の屋上まで逃げ、「院内コール」で呼び出されたこともあります。

そんな私を厳しくも優しく導いてくださったのが、臨床指導の国分アイ先生でした。国分先生は病室にすっと入ると、患者さんたちに「体調はいかがですか?」と声を掛けて回りながら、枕の位置を手際よく直したり、さっと痛いところに手を触れる。その颯爽さっそうとした後ろ姿がとてもかっこよく、私は「ああ、これが看護師の仕事なんだ」と感動を覚えたのです。日赤では、「先輩の背を見て育つ」といわれていましたが、まさにその言葉通り、私は国分先生や先輩の背を見て看護師としての自覚を少しずつ深めていったのでした。

また、実習中に1週間ほど受け持った、中学生の一人息子がいる乳がんの女性の方のことも忘れられません。その時には、無事治療を終えて、退院していかれたのですが、2年後にがんが再発し、再び入院してこられたのでした。

その方の病室(個室)の前を通ると、重症であることを示す赤いマークがついていました。師長に容態を聞くと、「がんが脳に転移しているから、あなたのことは分からないと思うわ」と言います。

私はそれでもあきらめきれず、ノックして病室に入ったのですが、驚いたことに「あ、静子せいこさんでしょ?」と、すぐ分かってくれたのです。しばらくして先輩が食事を運んでくると、その方は「いまだけでいいから娘になってちょうだい」とおっしゃったので、私は一所懸命、食事を食べさせてあげました。そして、私が病室を後にする時に、「あなたにはもう会えないかもしれない。きょうは本当によかった。ありがとう」と感謝の言葉を掛けてくださったのです。

その1週間後の日曜日、ベッドで寝ている時にふと枕元でその方の気配を感じました。急いで白衣に着替え、病院に駆けつけると15分前に亡くなったことを知らされました。霊安室では息子さんがポツンと一人で泣いていましたが、私は何の励ましの言葉も掛けてあげることができませんでした。

そのような時々の患者さんとの出会いも、私に看護師の役割の尊さを教えてくれ、看護師としての使命感を培ってくれたのです。

在宅看護研究センターLLP代表

村松静子

むらまつ・せいこ

1947年秋田県生まれ。日本赤十字中央女子短期大学卒業。厚生省看護研修研究センター、明星大学人文学部心理教育学科を経て、筑波大学大学院修士課程教育研究科カウンセリング専攻修了。日本赤十字社医療センターのICU看護師長を務め、86年に在宅看護研究センターを設立。2011年フローレンス・ナイチンゲール記章を受章。『「自主逝」のすすめ』『自分の家で死にたい』(共に海竜社)など著書多数。