2021年9月号
特集
言葉は力
インタビュー
  • 字幕翻訳者戸田奈津子

私の映画人生は
言葉と共にあった

戸田奈津子さんは、これまでに約1,500本もの洋画で字幕を担当してきた押しも押されもせぬ字幕翻訳家である。しかし、出世作となった『地獄の黙示録』を手掛けたのは43歳の時。20年間という長い下積み生活の後だった。85歳の現在もなお大作の字幕翻訳に勤しむ戸田さんに、言葉と向き合ってきた人生を振り返っていただいた。

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変わることのない生活スタイル

——銀幕デビューから半世紀を迎えられたと聞きました。

最初に字幕を手掛けたのは1970年ですから50年以上が経ったわけですが、それは人に言われて気づいたことで、自分でそんなこと考えたことはないですね。長い歳月やってきたという自覚はありませんし、振り返ると本当にあっという間でした。

——それは無我夢中でやってこられたから。

まぁ、そういう言い方もできるでしょうね。

——いまはどのような字幕翻訳を手掛けられていますか。

最近では『007』の最新作だとか、トム・クルーズの『トップガン2』といった大作も手掛けました。でも、なにせこのコロナですからね、映画館が閉まっていて年内に公開できるかどうかも分からない。多くの人が公開を待ちわびていらっしゃると思うと、早くコロナ禍が過ぎ去ってくれることを願うばかりです。

——1980、90年代には1週間に1本、年間50本もの字幕翻訳をされていたそうですね。

確かにその頃はね。年に一度、比較的長期間の海外旅行をする以外は、基本的には年中無休でした。だけど、そういう時代は過ぎ去りました。85歳ともなればエネルギーも枯渇 こかつしますよ。
それでも一本訳すのに1週間というペースはいまも一緒ですね。私、昔から自分のスタイルは変えていないんです。スケジュール管理もすべて自分でやっています。秘書がいると思っている人がいますけど、そんな身分じゃないですから(笑)。

——あらゆる面で自己管理力が求められますね。

自分でスケジュールを組み立てるのも仕事です。例えば、私は外に出て用事を済ませる日と、家にこもって仕事をする日をきちっと分けることにしています。仕事にこもる日は丸一日仕事に集中するようにしていて、睡眠と食事以外は机の前に座りっぱなし。息抜きのためにお茶を飲むこともしません。試写や打ち合わせが入らない土曜日、日曜日なんかは一番仕事がはかどるんです。
「締め切りが迫っている時は徹夜することも多いんでしょ」とこれもよく聞かれますが、私は学生時代を含めて徹夜をしたことは一度もない。夜は遅くとも12時までには寝て、睡眠はたっぷり取ります。どんなに仕事が立て込んでいる時でも外食に出たり、友達と付き合う時間はちゃんとつくっていました。だからといって締め切りに遅れたことはただの一度もありません。要は集中力の問題だと思っています。

字幕翻訳者

戸田奈津子

とだ・なつこ

昭和11年東京都生まれ。津田塾大学英文科卒業後、短期間のOL生活を経て、フリーの翻訳や通訳などの仕事をしながら字幕翻訳者を目指す。45年『野性の少年』等の字幕を担当。55年『地獄の黙示録』が出世作となる。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『タイタニック』など今日まで1,500本を超える洋画の字幕を担当。著書に『Keep on Dreaming』(双葉社)『字幕の花園』(集英社)など。