2025年11月号
特集
名を成すは毎に窮苦の日にあり
対談
  • 常盤木学園高等学校サッカー部監督阿部由晴
  • 福岡第一高等学校男子バスケットボール部監督井手口 孝

名将の哲学
日本一17回&10回はかくして生まれた

高校女子サッカー界と高校男子バスケ界でその名を轟かせる名門校がある。全国最多となる17回の日本一に輝く常盤木学園高校サッカー部と、10回の頂に立つ福岡第一高校男子バスケットボール部。それぞれのチームを創部から率いる阿部由晴氏と井手口孝氏に、窮苦の日々を乗り越え、常勝軍団を築き上げた足跡を語り合っていただいた。そこから見えてくる勝利に導く指導者の条件とは――。

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    言葉の持つ力『致知』は聖書のようなもの

    井手口 阿部先生、ご無沙汰ぶさたしております。きょうはお会いできることを楽しみにしてきました。

    阿部 私もです。宮城から東京に来るまで井手口いでぐち先生の著書をずっと読んできましたから、久しぶりに会った気はしませんが(笑)。
    井手口先生と最初にお会いしたのは、札幌で開かれた自己啓発セミナー「SMI」のコンベンションに参加した時でした。私と先生は体験発表者として招待されていましたが、その日はゆっくりお話しする時間がなかったんです。
    せっかくの縁がもったいない。もっとお話を伺いたいと思い、とき学園のバスケ部顧問と共に致知出版社の新春特別講演会に参加した後、福岡まで足を伸ばして福岡第一の練習を見させてもらいました。あれはいつ頃でしたかね?

    井手口 いまNBAに挑戦している河村勇輝の代がウインターカップで優勝した直後でしたから、2020年の年明けだと思います。

    阿部 そうでした。私はずっと女子の指導をしてきたので、男子の緊迫した激しい練習に圧倒されたことを鮮明に覚えています。

    井手口 バスケの先生が見学に来ることは時々ありますけど、サッカー界の大監督がわざわざ来てくださるとは……。非常に恐縮しましたね。サッカー界は男子のスポーツというイメージが強い中、阿部先生は女子サッカー全体を盛り上げようと様々な活動をされている。心から尊敬しています。

    阿部 いえいえ、とんでもない。その時に手土産として持っていったのが、仙台の銘菓ではなく、境野勝悟さかいのかつのり先生の『日本のこころの教育』(致知出版社)でしたね。

    井手口 ええ。思わず一気に読みました。そこでこういう本を出しているのはどんな出版社だろうと調べたら、『致知』に辿たどり着いたんです。すぐに申し込み、以来毎月届くのを心待ちにしています。

    阿部 私も『致知』を10年以上愛読しています。日課として毎日感動したことを3つ書き残しているのですが、ノートには『致知』の言葉がびっしりですよ。

    苦しい時だったり、嬉しい時だったり、自分の感情によってキャッチする言葉ってまったく違うじゃないですか。だから「その時その時の杖言葉」というように、いまの自分が感動した言葉を引き抜き、選手たちに発信しています。まだまだ自分自身の修業が足りないので、空回りしてばかりですけど。

    井手口 阿部先生に修業が足りないと言われると、僕がしゃべることはなくなってしまう(笑)。
    僕は毎朝体育教官室の掃除から一日を始めます。その時に机にある『稲盛和夫日めくりカレンダー』(致知出版社)をめくるんです。監督をしていると様々な問題が降りかかってきますけど、『致知』や稲盛先生の言葉に触れると心がすっと落ち着く。おかげさまで、以前よりも前向きな状態で子供たちの前に立てていると思います。
    言葉の持つ力ですよね。僕にとって『致知』は『聖書』のような感覚で読ませていただいています。

    阿部 常盤木学園サッカー部では11年前から『致知』を活用した勉強会「木鶏会」を行い、選手の人間力の成長を追求してきました。
    残念ながら、大学をはじめとした日本全体の教育水準は低下していると言わざるを得ません。人間性を育む教育が欠けてしまえば、人生の荒波に呑まれてしまう。彼女たちが大人になった時、道に迷わないようにしてやるのが本来の教育の役割であり、毎月『致知』を学ぶ意義だと自覚しています。

    常盤木学園高等学校サッカー部監督

    阿部由晴

    あべ・よしはる

    昭和37年秋田県生まれ。60年東北学院大学卒業後、教員免許を取得するため仙台大学に編入。同時期に地域少年団のサッカーコーチを経験し、指導者としてのキャリアをスタートさせる。複数の学校の教職を経て、平成7年常盤木学園高等学校に赴任、サッカー部を創部。5回の全日本高等学校女子サッカー選手権大会優勝をはじめ、これまで17回日本一に導く。著書に『なでしこの父』(エイチエス)『常盤木式女子力の育み方』(ベースボール・マガジン社)がある。

    心の扉を開くにはとことん付き合うこと

    井手口 今回対談するに当たって、私も阿部先生の著書を改めて1冊全部読みました。共通しているのは、阿部先生も私も恩師の影響を受けているということです。

    阿部 ええ。中学時代にサッカーを教えてくれた恩師は教員ではなく、地域の子供のために自分の生活を犠牲にしながらも熱心に指導してくれました。いつも「日本一を取る」と言っていて、広い視野で物事を考える感覚を味わわせてくれたことは、田舎者の私にとっては大きかったと思います。
    大学生になると、その恩師から地域の少年団のコーチを頼まれましてね。お世話になった方なので断るわけにはいかないなと。こうして私の指導者としてのキャリアが始まりました。

    井手口 どのように指導者としての腕を磨かれたのですか。

    阿部 手探りでのスタートでしたから、とにかく一所懸命勉強するしかありませんでした。サッカーの指導本を読みあさったり、有り金をはたいて東京の試合会場に足を運んだり。学生でお金もなかったので移動は夜行バスを使ってね。
    とりわけ自分のかてになったのは、いろんな指導者の下を訪ね、直接教えを受けたことです。「清水サッカーの生みの親」と呼ばれた堀田てつ先生、全日本少年サッカー大会の創設に尽力された大沢英雄先生、愛媛大学の田中純二先生といった一流の指導者に可愛がっていただき、長年の経験で練り上げられた指導法を学びました。
    ただ、多くの指導者の猛者もさたちは、一度や二度会ったくらいでは本音を喋ってくれない。ふところに潜り込む鍵は夜なんです。

    井手口 ああ、お酒の席で。

    阿部 そう、お酒を飲みながら。でも酔っ払ってはダメ。最後の最後まで徹底して付き合っていると、心の扉が開く時が来ます。そこで語られた指導論を一言一句らすことなくメモするわけです。
    当時は昼の12時から夜の12時まで飲むこともざらにありましたけど、声が掛かればすぐさま駆けつけました。鍛えられましたよ。

    井手口 僕も若い頃は先生たちにくっついていき、何千杯とお酒を注ぎました。同時に様々な話を聞き出していったら、練習試合や審判に呼ばれる機会が増えました。チャンスをつかむには、がめつく踏み込む気概が大切ですよね。

    福岡第一高等学校男子バスケットボール部監督

    井手口 孝

    いでぐち・たかし

    昭和38年福岡県生まれ。62年日本体育大学卒業後、中村学園女子高校に赴任。平成6年福岡第一高校に就任し、男子バスケットボール部を創部。創部5年目にインターハイ初出場。16年インターハイ優勝。過去インターハイ優勝5回(平成16年、21年、28年、令和元年、4年)、ウインターカップ優勝5回(平成17年、28年、30年、令和元年、5年)を数える。著書に『できるさ。』(青志社)『走らんか!』(竹書房)がある。