2019年8月号
特集
後世に伝えたいこと
対談
  • (左)吉野山保勝会理事長福井良盟
  • (右)志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃

吉野桜、その1000年の
歴史が教えるもの

春には3万本の山桜が花開く吉野の山は、日本の美しさを象徴する名勝の一つである。この美しい風景を、100年後の人々に残そうという運動が有志により行われているという。吉野桜の保護・育成に取り組む福井良盟氏と、この運動に共鳴する上甲 晃氏に、古くから親しまれてきた桜と日本人の深い関係を交えて、後世に伝えたい思いについて語り合っていただいた(写真:大和三庭園の一つに数えられ、千利休が作庭したといわれる竹林院群芳園にて)。

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    100年後の人に美しい桜を

    上甲 『致知』は人間学を説く希少な雑誌ですが、創刊間もない頃からこれを深山みやまの桜と評価する根強いファンに支えられて発刊を続けてきたと聞いています。きょうはその『致知』で、吉野の深山桜をでながら、保全に尽力なさっている福井さんと対談の機会をいただいて、とても嬉しく思っています。

    福井 こちらこそ、吉野の桜に注目していただくのはありがたい限りです。

    上甲 吉野には3万本もの桜があるそうですが、こちらの竹林院ちくりんいんからのながめも見事ですね。宿坊しゅくぼうとして大変人気があるのも頷けます。

    福井 この吉野山は古くから修験道しゅげんどうが盛んでたくさんのお寺があったのですが、4代前の37世院主の時代に神仏分離令と修験道廃止令が発布されて宗教活動ができなくなりましてね。その後新政府から、復飾ふくしょく還俗げんぞく)するか、神官になるかどちらかを選べというお達しがあっていったん神官になったんですけど、とてもそれではやっていけない。そこで、たまたま敷地にあった庫裏くりで旅館でもやろうかということになったのが始まりなんです。

    上甲 吉野の桜は下から上に向かって下1,000本、中1,000本、上1,000本、奥1,000本と順番に咲いていく様子が秀逸しゅういつですが、実は私は大阪に住んでいながらこれまで吉野の桜が満開になるのを見たことがなかったんです。けれども妻が、日本一の桜は何といっても吉野だというので、一度この目で見てみたいと思って3年前から通い始めたんです。
    妻は、「50年前に見た吉野山の桜が忘れられない。山が薄いピンクのかすみおおわれているようだった」と言うので期待して通うのですが、あいにく開花より早かったり遅かったりで、なかなかタイミングが合わない(笑)。

    福井 吉野の桜の開花時期は、毎年違うんです。14年通い続けて4回くらいしか満開の桜に出合えなかったという画家の先生もいるくらいですからね(笑)。

    上甲 3年で出合えた私は、とても幸運ですね(笑)。
    ただ、その間にとても興味深いことがありました。奥1,000本に入ると、若い桜の木がたくさん植えてあって、一本一本に木札が掛けられている。そこには植えた方々の名前と共に、「22世紀吉野桜を愛でる会」と記されているのを見て、非常に感動したんです。
    私は自分が桜を愛でることばかり考えていましたが、100年後の人に桜を楽しんでもらおうとして、営々と若木を植えていらっしゃる方々がいる。私はそこに日本人の志を見る思いがしましてね。吉野山保勝会で吉野桜の保護・育成に尽力なさっている福井さんに、ぜひお話を伺いたいと思ったんです。

    志ネットワーク「青年塾」代表

    上甲 晃

    じょうこう・あきら

    昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書に『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』(致知出版社)など多数。

    日本人の心を表す山桜

    上甲 一般に桜といえばソメイヨシノですが、この吉野の桜は山桜ですよね。山桜はソメイヨシノとどう違うのですか。
    福井 ソメイヨシノは、桜の花が咲いた後に葉っぱが出てくるのですが、山桜は反対なんです。葉っぱが先に出て、その後に花が咲く。それが一番明確な違いでしょう。
    そして、山桜の葉には大まかに赤と黄と緑の3種類がありましてね。中でも吉野山で綺麗きれいなのが赤い葉で、桜の白い花びらと合わさって、遠くから見ると綺麗なピンク色に見えるんです。
    江戸時代に本居宣長もとおりのりながさんはこういう歌をんでいます。

    「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
    (日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、そのうるわしさに感動する、そのような心です)

    上甲さんがおっしゃったように、桜といえばソメイヨシノを思い浮かべる方が多いと思います。もちろんソメイヨシノも素晴らしい桜なんですが、やっぱり日本人の心の「かなし」を表す花といえば、宣長さんが詠んだように、この吉野で咲いているような山桜ではないかと私は考えるんです。

    上甲 そういうお話を伺うと、この吉野の桜を見る目も変わってきますね。

    福井 それから、ソメイヨシノはですからDNAが皆一緒で、一斉に花が開くから開花予想もしやすいんですが、吉野の桜は野生のものだから全山一斉に満開になることは絶対にないんです。
    秀吉が吉野で花見のうたげを開いた時には、3日間雨が続きましてね。しびれを切らした秀吉は、吉野の寺を統括する聖護院しょうごいん道澄どうちょうさんに、明日も雨だったら吉野に火をかけて下山すると伝えたんです。道澄さんはビックリして吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じました。その甲斐かいあって、翌日には前日までの雨がうそのように晴れ上がり、全山一輪も咲かない桜はなかったと『太閤記たいこうき』には書いてあるけど、そんなことは絶対ないんです(笑)。

    上甲 野生というのはそれぞれがバラバラですからね。逆に人工的につくったものは一斉に咲いたりする。そういうのは現代社会とすごく似ていますね。

    福井 私は吉野町長を20年間やらせてもらいましたけど、その中で心掛けていたことは、よその真似まねはしないことでした。この頃は全国どの町でも駅前の風景が変わり栄えしなくなってきたけれども、うちだけの個性を打ち出していかないと発展はないと。そういうところから、吉野桜を積極的に紹介していく流れができたことはとてもよかったと思っています。

    上甲 いまは地球全体が画一化していますよね。そうなると、行き詰まる時は皆一緒に行き詰まるし、倒れる時は一緒に倒れてしまって非常に危険です。しかし吉野桜のような野生種は、それぞれ自分の個性を前面に出して生きているから、一斉というものがない。これはいまの我われにすごく大事なことを示唆しざしていると思います。

    吉野山保勝会理事長

    福井良盟

    ふくい・りょうめい

    昭和20年奈良県生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業後、同大学院人文科学研究科修士を修了。吉野町議会議員を経て、63年吉野町長に就任(~平成20年)。吉野山保勝会理事長。竹林院第41世院主。