2026年3月号
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一人称
  • 東山魁夷記念一般財団法人代表理事橋本光明

葛飾北斎と東山魁夷

2人の巨人が貫いたもの

豪快な構図の浮世絵で知られる葛飾北斎。自然の生気を独自の作風で描いた東山魁夷。全く異なる時代を生きた2人だが、40歳で画境を拓き、90歳で亡くなる直前まで創作に勤しみ生涯現役を貫くなど驚くほどの共通点がある。不思議な縁から北斎と魁夷の個人美術館長を務めた橋本光明氏が語る2人の人生からは、その知られざる新たな一面が浮き彫りになる。

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    東山魁夷記念一般財団法人代表理事

    橋本光明

    はしもと・みつあき

    昭和20年東京都生まれ。千葉大学教育学部卒業後、同大学教育学部附属小学校教諭、同大学教育学部講師併任、筑波大学附属小学校教諭、信州大学教授、同大学教育学部附属長野中学校校長、副学部長などを歴任。現在名誉教授。長野県立(当時、長野県信濃)美術館・東山魁夷館館長、すみだ北斎美術館館長も務めた。令和4年度文化庁長官表彰受賞。

    葛飾北斎

    かつしか・ほくさい

    宝暦10(1760)年~嘉永2(1849)年。江戸中・後期の江戸の浮世絵師。北斎の他、戴斗・為一・画狂老人卍など多くの号を持つ。初め勝川春章に学んだが、狩野派・土佐派・琳派・洋風画など和漢洋の画法を習得。読本挿絵や絵本、風景画などで独自の作風を花開かせる。代表作に『北斎漫画』や『冨嶽三十六景』など。(『葛飾北斎伝』より)

    東山魁夷

    ひがしやま・かいい

    明治41(1908)~平成11(1999)年。神奈川県生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、ドイツ留学を経て、昭和22年日展に出品した『残照』が特選となり画壇に認められた。代表作に『道』や『緑響く』、唐招提寺御影堂障壁画など。日展理事長。文化勲章受章者。©時事

    北斎と魁夷の美術館長を務めて

    縁とは不思議なものです。教員として小学校や大学で教鞭きょうべんり美術教育を専門としていた私が人生の後半、国民的画家であるひがしやまかい、続いて世界的画家であるかつしかほくさいの個人美術館の館長をそれぞれ務めるようになるとは思ってもみないことでした。

    私は20代の頃から美術教育の実践研究や教科書のへんさんなどを通じて古今東西の美術について学んでいるつもりでいました。しかし、魁夷、北斎の美術館館長として、それぞれの人生や芸術に触れる中で、2人には多くの共通点があることに気づきました。生きた時代はまったく異なるものの、共通点が見えてくる度に驚くこともしばしばでした。本欄では、その幾つかについて紹介したいと思います。

    私が高校から大学にかけての1960年代、魁夷はすでに日本画家として一世をふうしていましたが、私がとりわけ魁夷に関心を抱いたのは1964年に開かれた三山展の新聞報道がきっかけでした。

    当時、中堅作家の代表としてしのぎを削っていた東山魁夷、杉山やすし、高山辰雄3人の作品展を報じる記事で、3人は期せずして地上の物象と天体、その間に広がる空をモチーフとしていたのです。さらに驚いたのは杉山と高山の作品は『きゅう』という同一題名だったことです。魁夷が描いた『とう』を中心に『穹』の2作が並んで掲げられました。この展示会をきっかけに3人への注目は一挙に高まり、「日展三山」として国民的な存在になっていきました。

    私は大学を出ると、千葉大学教育学部附属小学校の教師になりました。1971年の公開研究会で発表した研究内容が文部省(当時)調査官の目に留まり、以来、35年間、学習指導要領をはじめ文化芸術、鑑賞、評価など小中高、大学の会合の委員、委員長として様々な教育課題に取り組みました。

    これに加えて図工・美術科の教科書の編纂、学会や研究会等の幅広い活動により次第に魁夷についての知見を深めましたが、さらに魁夷との距離を縮めたのは1989年、助教授として信州大学に赴任したことです。奇しくも翌年、大学の近くに東山魁夷館がオープンし関心は一層高まりました。2007年以降、同館の協議会委員になり2011年から7年間は館長を務めさせていただきました。

    一方、私の北斎への関心は魁夷のそれよりも遅く、1970年以降でした。当時、浮世絵というと美人画の鈴木春信やとりきよなががわうた麿まろ、名所絵のうたがわ広重ひろしげ、役者絵のとうしゅうさいしゃらくなどが挙げられ、教科書での北斎の扱いは、現在と比べると低いものでした。実際、重要文化財に指定された作品があるこの4人の絵師に対して北斎の作品は一点もなかったのです。

    しかし、81年、北斎を主人公とした映画『北斎漫画』が公開されたあたりから徐々に注目を集めるようになり、1998年、アメリカのフォトジャーナル誌『LIFE』に「この1,000年に最も重要な業績を残した世界の人物100人」の一人として紹介されると、一躍脚光を浴びるようになりました。そう考えると、北斎の名を誰もが知り、話題性が高まったのは、この四半世紀前。ごく最近なのです。

    私が東山魁夷館館長を退任し、東京のすみだ北斎美術館館長に就任したのは2018年。翌19年の没後170年記念、翌年の生誕260年記念の展覧会が全国各地で開催されて空前の北斎ブームが巻き起こったのは大変印象的でした。2020年から流行はやりはじめたコロナがなければ、東京オリンピック・パラリンピックの影響もあって、海外からの来館者の急増が期待されたでしょう。