2016年12月号
特集
人を育てる
対談
  • 寺子屋モデル社長山口秀範
  • 中村学園大学教授占部賢志

国家百年の計は
教育にあり

教育に懸ける
我が思い

現在、福岡県宗像市で「志明館」という、小中一貫校創設に向けた準備が進められている。その旗振り役を務めるのが、長年教育事業に取り組んできた山口秀範氏だ。教育改革が叫ばれる昨今、その問題の核心に迫る小中一貫校構想に共感を寄せる占部賢志氏とともに、現在の教育問題や、理想とする義務教育のあり方について縦横に語り合っていただいた。

この記事は約24分でお読みいただけます

日本の子供たちの顔を再び輝かせるために

占部 山口さんとはもう40年来のお付き合いになりますが、大手ゼネコンの職をなげうって、教育事業に乗り出されてからどれくらいになりますか。

山口 48歳で会社を辞めましたから、ちょうど20年が経ちました。

占部 それにしても、よく踏み切られました。

山口 それだけ大きなカルチャーショックがありましたからね。
若い頃、私はずっと継続して海外で仕事をしてきました。西アフリカのナイジェリアから始まって、イギリスとアメリカに駐在し、中南米や東南アジア諸国と全部で35か国くらいに足を踏み入れたでしょうか。
その後、45歳で本社から呼び戻されて15年ぶりに東京に住み始めたわけですが、その時でした。久しぶりに見る日本の子供たちの顔が、本当に冴えなくて、生気もなく、つまらなそうな表情ばかりだと気づいたのは。一体、この15年間で日本に何が起こったのだろうかと、本当に大きなショックでした。
それに比べて海外の子供たちは、どの国でもキラキラしていました。しかも彼らの多くは、日本の子供たちが羨ましいわけですよ。日本は物質的に豊かで、欲しいものは何でも手に入るわけですから。
ところが、当の日本の子供が惨憺たる状況だった。このことが私の頭からずっと離れず、2年間本社で勤務した後、かつての寺子屋教育をいまの世に甦らせようと、寺子屋事業に乗り出しました。日本の子供たちの顔を再び輝かせるには、どうしたらよいだろうか。これが私の命題で、この20年間様々な挑戦を繰り返してきました。

占部 私は高校教諭の時代からずっと山口さんの活動を見ておりまして、その原動力になっていることが大きく2つあると思っていました。1つは自分の体験から言ってもそうなのですが、教育を行うということは、その当事者の心の中に、ある人格が宿っているということです。その人格に突き動かされて、行動を起こしていく。
山口さんにとって、その人格とは高校時代の恩師・小柳陽太郎先生だと思います。昨年(2015年)お亡くなりになりましたが、小柳先生の学問と教育、それが背景にあると。
もう1つはいまおっしゃったように、長期の海外体験ですね。特に開発途上国の子供たちというのは大変貧しい上に、教育設備も整っているわけではありません。にもかかわらず何かを学びたいという意欲にものすごく溢れているだけに、日本の子供とのギャップは明らかですよ。

山口 浦島太郎のような気分で帰ってきたから、その違いをよりはっきりと感じたのかもしれません。

占部 きょうは参考までに、私が塾長を務める「日本のこども大使育成塾」で学ぶ子供たちが、開発途上国に短期のホームステイをした際、学校に関して聞き取り調査した結果をまとめた表を持ってきました(上記の表参照)。注目していただきたいのが先生に関する項目で、どの国も先生に対する親しみや尊敬心が強いということです。
その根底には、先生と児童生徒たちとの触れ合いがあって、それが親愛の情によってなされているんですよ。そのことに日本の子供たちは驚くわけです。というのも日本の場合、先生への尊敬の念や敬愛の情は見る影もなく、先生と生徒はもはや友達関係になってしまっている。
こうした違いが、海外の子供と日本の子供の違いを生み出している一つの要因だと思います。

山口 まさにそのとおりなのですが、もう一つ言えば、海外の子供たちは先生だけでなく、親も尊敬しているんですね。例えばナイジェリアでは、父親が子供をバシバシ叩くほど厳しく接します。しかし、いくら怖くとも、子供たちはお父さんのことが大好きです。お父さんやお母さんのような大人になりたいと、子供たちはみんな憧れている。
ところが日本の家庭では、お父さんのようにだけはなりなさんな、と言われているらしい。これでは教育はおろか、家族も成り立ちません。

寺子屋モデル社長

山口秀範

やまぐち・ひでのり

昭和23年福岡県生まれ。早稲田大学卒業後、大成建設に入社。15年にわたる海外勤務の後、平成8年依願退職。翌年国民文化研究会事務局長就任。17年株式会社寺子屋モデル設立。不登校児自立支援を行うNPO教育オンブズマン理事長も歴任。現在、福岡中小企業経営者協会会長等を務める。編著に『日本の偉人100人(上・下)』(致知出版社)。

大事なことは堂々と教える

山口 では、どうしてこんな状況になったのかというと、やはり元を辿れば、日本が戦争に負けたことに起因しているでしょう。戦争に負けて、過去の日本はつまらないものだったと教えられるようになった。我われが学生時代から、戦前の日本に学ぶものは何もないと教えられてきたわけだから、根は深いと言わざるを得ません。

占部 そのとおりですね。

山口 それと人権の問題もあります。子供の児童憲章といったものが各地方自治体でつくられていて、その中心にあるのが、子供はありのままの自分でいる権利を生まれながらにして持っている、という迷信です。これを多くの先生は疑いもしないことが問題なんですよ。
例えば、授業が始まる前に、生徒が起立をしてお辞儀をしたら、正しい姿勢で椅子に腰かけさせる。これは言ってみれば一つの型です。ところが、「いや、僕はずっと立っていたい」と生徒が言うと。それに対して先生は、「立っていたいのが、ありのままのあなたなのね」と認めてしまう。
これでは道徳教育なんて、とてもできません。型にはめて規範意識を持たせることを否定するなんて、そもそも出発点からして間違っているわけですから。

占部 もう1つ言えるのは、現在の教育が直面している課題でもあるのですが、キーワードは「多様性」です。
道徳教育1つ取り上げましても、いまは親孝行というものを教えようとすると、それに対して他の先生から批判が起きてくるわけです。どんな批判かというと、親のいない子供や虐待する親もいるじゃないかと。そういう境遇の子供たちがいるのに、親孝行を取り上げるのは問題だと言う。こう言われると、ほとんどの先生方は引いてしまいます。
では、そういう批判をする人たちは何が分かっていないかというと、教育という組織的な営みの中では、すべてを教えられるわけではない、ということです。にもかかわらず、その人たちはあれもこれも取り上げて、ある特定の価値観を相対化し、一番大事なことを子供たちに伝えようとしない。そういう中で、いまの親や子供たちが育っていることも、問題の一因だと言えるでしょうね。

山口 ちなみに占部さんは、そういった問題に現場でどう対処してこられたのですか。

占部 教育というのはオーソドクシー(正統性)が大事なんだということですね。
例えば、道徳教育の時間に「私の故郷」をテーマにしたとしましょう。その際に私なんかよい例になると思うのですが、中学を出るまでの九年間、父親の仕事の都合で平均して1年に1回転校してきました。ですから私には故郷と呼べるものがなく、これは非常に寂しいことでした。でもだからと言って、「私の故郷」について授業をしないでほしいとはちっとも思わない。むしろ、そういう授業をやってほしいと思うんです。
これと同じことで、親孝行にしても、たとえ親を亡くしていたって、自分の心の中には親がいるわけですよ。親の顔を覚えていないというなら、おじいちゃんやおばあちゃんがいる。そう考えると、親孝行というのは普遍的なことであって、日本の文化遺産であると。これがオーソドクシーであって、それをきちんと教えるのが教育です。その後は子供たちがいろんな形で判断してくれればいい。

山口 そうそう。しっかり教えられた後で、子供たち自身がね。

占部 そうです。私が故郷を教えてもらいたかったのは何も特別なことじゃなくて、子供って意外とそういうところがあるんですよ。だからこそ押さえるべきところは、子供たちに堂々と教えなくてはいけません。

中村学園大学教授

占部賢志

うらべ・けんし

昭和25年福岡県生まれ。九州大学大学院博士課程修了。高校教諭を経て、現在、中村学園大学教授。その傍ら、NPO法人アジア太平洋こども会議イン福岡「日本のこども大使育成塾」塾長などを務める。著書に『語り継ぎたい美しい日本人の物語』『子供に読み聞かせたい日本人の物語』(ともに致知出版社)などがある。