2025年10月号
特集
出逢いが運命を変える
対談
  • PEEK-A-BOO代表川島文夫
  • ソシエテミクニ代表三國清三

終わりなき
旅路たびじをゆく
出逢いと挑戦の軌跡きせき

「ハサミ一つで世界を変えた男」と称されたヴィダル・サスーンの下で研鑽を積み、喜寿を迎えるいまなおサロンに立つ川島文夫氏。フランス料理の巨匠・三國清三氏もまた、数々の師との邂逅を糧に、独創的な料理で日本のフランス料理界を牽引し続けている。美容師と料理人、それぞれの道を極めてきたお二人は、いかなる出逢いによって自己を磨き高めてきたのか。35年以上にわたり親交を深める両氏に、出逢いと挑戦の足跡、仕事・人生の流儀について語り合っていただいた。

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    35年以上にわたり親交を深めてきた道友

    川島 きょうは三國さんとお話しすることを楽しみにしてきました。いつも会っているんですけどね。

    三國 2週間に1度カットしてもらっていますから。
    いまから35年ほど前、ある洋服ブランドの広告撮影を依頼されたんです。当時は美容室なんて男の行くところじゃないと思っていたから、床屋しか行ったことがなかったの。ただ、流石さすがれいにしないとまずいと思って、川島先生に連絡したらすぐに美容師を手配してくれました。その時のカットがなかなかよかったんですよ。それで後日、表参道にある先生のヘアサロンに初めて行きました。

    川島 女性客が多いから、最初は随分固くなっちゃってね(笑)。

    三國 でも、あの時も男性客が何人かいたんです。おかげで安心したことを鮮明に覚えています。
    先生は開口一番に、「これから2週間に一度来るなら担当する」と言ってね。理由を尋ねたら、「2週間に一度カットすると、いつ誰と会っても髪の長さが一緒になる。それが格好いいんだ」と。
    以来、2週間に1度は欠かさず通い続けてもう35年ですよ。

    川島 そうですね。そもそもの出逢いは、共通の知り合いが2人いたことがきっかけです。パリから帰ってきたすごい料理人がいる。しかも、僕と境遇が似ているって言うじゃないですか。思わず気になって、東京・四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」に足を運びました。

    初めて食事をいただいた時は衝撃を受けましたよ。1皿1皿の洗練度合いがまるで違う。まさに究極のフランス料理だと感激しました。特に印象に残っているのが、デザートにおいしいチョコレートを食べた時のこと。三國さんがやって来ていいことを言ったんです。
    「最後に最高のチョコレートを出すのが、最高の料理人です」

    三國 料理人は最初と最後に出すものには一際気合いを入れるんです。中間の料理はおいしくて当たり前。最後まで一切手を抜かない。これが大変であり、肝なんです。

    川島 何事も着地が大事ですよね。我々の場合はお客様が鏡で自分の姿を見た時に笑顔になるかどうか。言葉じゃない。美容師は顔をデザインするのが仕事ですから、お客様の表情ですべて決まるんですよ。

    三國 僕が川島先生のすごさを実感した出来事があります。うちの店ではコックやサービスもエプロンをします。その姿を見た先生がポロッと「エプロン格好いいな」と言ったんですよ。後日先生のサロンに行ったら、スタッフ全員がエプロンをしていました。
    美容師がエプロンなんて普通しないじゃないですか。でも、先生はいいと思ったものをちゅうちょなく取り入れる。カットの神様と呼ばれるようになってもなお、素直に学ぶ姿勢はとてもできないなと。
    だからいつも川島先生には、「僕は来世では絶対美容師になりたい」と言っているんです(笑)。

    川島 逆に僕は、来世は料理人がいいかなって(笑)。

    PEEK-A-BOO代表

    川島文夫

    かわしま・ふみお

    昭和23年東京都生まれ。高山美容専門学校卒業。カナダの美容室勤務を経て、46年ロンドンの「ヴィダル・サスーン」に参加。48年東洋人初となるアーティスティック・ディレクターに就任。美容史に残るヘアスタイル「BOX BOB」を発表。52年「PEEK-A-BOO 川島文夫美容室」を表参道に開店。現在もサロン勤務を行いながら、日本全国・世界各地を行脚して技術指導に励む。著書に『プロフェッショナルの極意』(髪書房)がある。

    すべての人を平等に綺麗にしたい

    三國 僕は今年(2025年)71歳になりましたけど、お世辞抜きで川島先生を目指しているんです。先生は喜寿を迎えるいまも現役バリバリ。2週間に1度先生の姿を見て、「ああ、僕も頑張らなきゃ」と思うわけです。心から尊敬しています。

    川島 おかげさまで僕が代表を務めるヘアサロン「PEEKピーク-A-BOOブー」は今年創業48年を迎え、東京に8店舗、330名のスタッフをようするまでになりました。でも、まだまだ未熟です。この年になると、行く先々で「いつまでやるんですか」と聞かれるけど、余計なお世話ですよ。僕は引退興行なんてやる気はありません。サロンワークこそ自分自身の原点なんです。

    いまも週4日はサロンに立っています。1日15人から20人ほどのお客様を担当しますが、午前中に10人担当して体のキレが増し、午後にさらに10人やる。週の残り3日はといえば、講習会で日本全国、時には世界各地を回って後進に技術を伝えています。

    日々欠かさない習慣といえば、50年近くずっと自転車通勤です。雨でも台風でもお構いなしに表参道の街を駆け抜ける。自転車に乗っていると、気軽に寄り道して違う景色を楽しめるでしょう。それが気分転換になるし、インスピレーションにもつながっています。

    三國 健康にもいいですしね。

    川島 その通り。そうして必ず8時半には出勤し、1日のスケジュールや出張の予定を欠かさずチェックするようにしています。
    僕はスタッフの顔を見るのが好きなんです。「ちゃんとやっているかな」「早く成長してほしい」とか。現場で働くスタッフが笑顔じゃないとお客様を笑顔にはできません。スタッフをどうやってエンジョイさせるか。そこからスタートするといいと思います。技術は見様見真似みようみまねで身につきますが、ハートは教えないと覚えないんです。

    三國 ああ、ハートを伝える。

    川島 僕が美容師として貫いてきたポリシーは、「すべての人を平等に綺麗にしたい」。だから、たとえスーパーのおばさんだろうが、大企業の社長の奥様だろうが、分け隔てなくカットしてきました。

    三國 僕が先生の美容室に通い始めた頃、よくソニー創業者の一人である盛田昭夫さんが座って待っていました。驚きましたよ。
    いまのお話で共通するのは、人にびないこと。バブルの頃は厚い札束を持って、「これで料理つくれよ」と押し駆けて来る人がよくいたんですよ。でも、そういうお客様はすべて断った。当時は反感を買いましたけど、公平におもてなしすることが結果的にお客様からの信頼に繋がりました。総勢30万人を超える方々をお迎えできたのも、先生と同じポリシーでやってきたからだと思います。

    ソシエテミクニ代表

    三國清三

    みくに・きよみ

    昭和29年北海道生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテル、帝国ホテルにて修業後、49年駐スイス日本大使館料理長に就任。ジラルデ、トロワグロ、シャペルなど世界的な巨匠の下で修業を重ね、60年東京・四ツ谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」開店。平成19年厚生労働省より卓越技能賞「現代の名工」受賞。27年仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受章。令和4年「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店。7年黄綬褒章受章。9月、四ツ谷に「三國」開業予定。著書に『三流シェフ』(幻冬舎)など多数。