2024年9月号
特集
貫くものを
インタビュー②
  • 書家井茂圭洞

「継続は力なり」

書のさらなる高みを目指して

日本を代表する書家の一人である井茂圭洞氏は、米寿を迎えるいまも日々創作に余念がない。長年、伝統的な書の美しさに現代的な独自の美的感覚を備えた書法の探究を続けつつも、「自分で納得できた作品は、いまもってほとんどない」と語る。限りなき道を前進し続ける井茂氏に、書に懸ける思いをお聞きした。

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従来のカテゴリーに収まらない書を求めて

「しき島の大和ごゝろを人とはヾ朝日に匂ふ山桜花」(大和心/本居宣長)

──井茂先生は、9月に米寿を迎えられるいまも日々、書の創作にいそしまれていますね。

自分ではまだまだ若いと思っていたのに、いつの間にか米寿を迎えようとしているというのが本音です。脚力も随分低下しました。ただ、これはどの分野でも同じだと思いますが、生涯妥協しない、妥協できないのが作家精神だと思っているんです。
書というものは終わりのない仕事です。これが何か数字を追うようなものであれば、あるところまで目標は達成したという感覚になるのでしょうが、終わりのない仕事をしている以上、いわゆる達成感を得ることはありませんね。またそれがこの道の魅力でもあるのでしょうけれども。

──いまはどのような毎日を?

若い頃と比べて仕事量は5分の1くらいになりましたが、それでも食事をする時、睡眠を取る時、かつては車を運転していた時を除いて、いつも私の頭の中は自身の課題のことでいっぱいです。常に課題を持って臨むからこそ、いざ書に向かう時にもスッと気持ちが一つになる。課題も持たないまま「さあ、いまから書こうか」と筆をるようではとても大成できません。
書家にとってはまさに24時間が仕事でなくてはならぬわけですが、ただ、問題意識だけだと思考が固まってしまう。一方で頭の中を空にしておかないと、考えていることの精度が高まらない。時には覚えたことを忘れることも必要になる。このことは一見矛盾しているようでも、本当は矛盾していないのです。

──目下、取り組んでいる課題はどのようなものですか。

少し抽象的な言い方になりますが、朝焼け、夕焼けの瞬時の天空の美しさ。これを毛筆の弾力や筆の鋒先ほさきの角度など瞬時の働きで表現できないかと工夫しているんです。私の専門である「かな」は形が単純なだけに線が決め手となります。書線の持つ、いわば未知の美を求めるというのでしょうか。その可能性を探究したいというのが課題の一つですね。
それから、これはここ20年ほどの私自身の課題なのですが、「漢字」「かな」という従来のカテゴリーや観念に収まらない書を目指したいと思っているんです。師であるやまりゅうどう先生の影響もあるのですが、「漢字」「かな」という区別のない作品づくりが書の理想だと考えています。

──「漢字」「かな」の区別のない作品ですか。

「かな」の歴史を探ると万葉仮名に辿たどり着きます。『万葉集』は万葉仮名で書写された代表的な書物ですが、書体的には「かな」ではなく漢字の楷書か行書なんですね。それが11世紀の平安時代にかけて、いま私たちが手本とする「かな」に変化していった。そこには「かな」を生み出した日本人の気持ちや感性が込められている。いわゆるび、び、みやびというものの原点はそこにあると私は捉えているんです。
ご存じのように、日本には漢字が伝承するまで固有の文字はありませんでした。ところが、弥生時代につくられたどうたくの絵を見ると、その線は「かな」をほう彿ふつとさせるものがある。私はその線を見た時、「かな」のルーツはすでに弥生時代にあったのではないかとハッとしたんです。侘び、寂びを好む日本人のアイデンティティーが室町時代に千利休せんのりきゅうをして茶の湯を完成せしめたと同時に、古代からの曲線美に対する感性が平安時代に「かな」を完成せしめたのではないかと考えるに至りました。

──興味深いお話です。

深山先生は「物事は変革していく時こそ、そのものの真の姿を見ることができる」とおっしゃっていました。「かな」の勉強においては平安中期に完成した姿を学ぶことはもちろん大事ですが、その過程に目を向けるべきだと私も思っています。「漢字」にしろ「かな」にしろ完成したものばかりを模倣していては、その視点は生まれません。そういう意味も込めて「漢字」「かな」の区別のない作品づくりが理想であると申し上げたわけです。

書家

井茂圭洞

いしげ・けいどう

昭和11年兵庫県生まれ。京都学芸大学(現・京都教育大学)卒業後、私立芦屋女子高等学校、京都教育大学で教鞭を執りながら、書家として活躍。52年、54年には日展で特選受賞、平成13年日展内閣総理大臣賞受賞。現在、日本芸術院会員、日展顧問、一東書道会会長、京都教育大学名誉教授、読売書法会最高顧問などを務める。令和5年文化勲章受章。著書に『井茂圭洞 かなの美韻 白梅帖』(美術新聞社)など。