2019年10月号
特集
情熱にまさる能力なし
対談
  • (左)大和証券グループ本社顧問、日本証券業協会会長鈴木茂晴
  • (右)指揮者、トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督佐渡 裕

情熱にまさる能力なし

日本が誇る世界的指揮者・佐渡裕氏、58歳。巨匠レナード・バーンスタインや小澤征爾氏らに師事し、ヨーロッパの一流オーケストラで毎年数多くの客演を重ねている。佐渡氏は小学生の頃から、将来指揮者になると思い描いていたという。その夢を叶えた背景にはもちろん才能もあっただろう。しかし、それ以上に運や縁を引き寄せる人並み外れた情熱、努力があったことは紛れもない。いかにして「世界の佐渡 裕」は生まれたのか。佐渡氏の活動を支援している大和証券グループ本社顧問・鈴木茂晴氏に迫っていただいた。

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バーンスタイン生誕100年記念ツアーを終えて

鈴木 大和証券グループは数年前から佐渡さんのコンサートのスポンサーを務めていますが、昨年のレナード・バーンスタイン生誕100年記念の日本ツアーはもう大変な人気でしたね。私も聴かせていただいて、ものすごく感激しました。

佐渡 ありがとうございます。

鈴木 記念ツアーを振り返って、いまどんな心境ですか?

佐渡 バーンスタインと言えば、カラヤンと並んで20世紀を代表する世界的な作曲家・指揮者と称されています。彼はいまから29年前、1990年に亡くなりましたが、昨年こうして生誕100年を迎え、日本だけではなく世界各地で彼の作品を指揮する機会に恵まれました。
昨年1月に、ワシントン・ナショナル交響楽団を初めて指揮しました。意外にもこれが僕のアメリカデビューだったんです、ギャラをいただく仕事としては。「世界で活躍する佐渡裕」と言われながら、それまではヨーロッパを中心に活動していたんですね。
その後パリやベルリンでもコンサートをし、バーンスタインの誕生日(8月25日)にはウィーンでガラコンサートを行いました。国内では、彼の代表作であるミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』の全曲を映画の全編上映に合わせて生演奏するという、映画の登場人物とオーケストラが一体となる奇跡的な共演を行いました。
今年の夏は『オン・ザ・タウン』といって、『ウエスト・サイド・ストーリー』を書き上げる十年以上前に、バーンスタインが世に才能を示すきっかけとなったミュージカル作品を、僕が芸術監督としてプロデュースし、兵庫と東京で上演しました。
バーンスタインと初めて出逢った時、僕はまったくの無名でしたし、彼のそばでいろいろ勉強できたこと自体が非常に大きな財産だと思っています。バーンスタインの弟子として記念の年に世界各地から呼ばれて指揮できたのは、非常に光栄なことだと思います。

鈴木 その中で、新たな気づきを得たり、思いが深まるようなこともあったのではないでしょうか?

佐渡 僕は彼の指揮姿にあこがれて、彼の傍で勉強していたので、印象として強いのはやはり指揮者バーンスタイン。だから、作曲家であることはよく知っていましたし、『ウエスト・サイド・ストーリー』は格好いい曲だなと思ってはいましたけれど、彼の作品自体に当時はそれほど興味なかったんですね。

鈴木 作曲家バーンスタインよりも指揮者バーンスタインに、若い頃は魅力を感じられていたと。

佐渡 ところが、亡くなって時間が経ち、僕自身バーンスタインの作品を振ることが随分多くなりました。『ウエスト・サイド・ストーリー』は間違いなく最高傑作ですけれど、それ以外にも彼が遺した素晴らしい作品はたくさんあって、これからもっと価値が上がっていくと確信しています。そういうものを伝えることもまた、僕の役目だと思っています。

指揮者、トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督

佐渡 裕

さど・ゆたか

1961年京都府生まれ。1984年京都市立芸術大学音楽学部卒業。1989年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。1995年第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール優勝。2015年9月より、オーストリアを代表し100年以上の歴史を持つトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任。国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者を務める。著書に『棒を振る人生』(PHP新書)など。

小学校5年生で初めて買ったレコード

鈴木 巨匠バーンスタインのもとで学びたいと、音楽家なら誰もが思う中で、よくそういうチャンスに巡り合われましたよね。

佐渡 バーンスタインに最初にかれた理由というのが面白くて、子供の頃、家にステレオがあり、教育のためにレコードが何10枚とありました。僕には6歳上の兄がいるのですが、まだ幼かった僕にはレコード針を下ろすことは許されていなかった。

鈴木 お兄さんの特権だった。

佐渡 そう。だからこれは次男のひがみですけれど(笑)、兄のために置いてあるステレオという感じがしたわけです。で、そのレコードの大半がカラヤンでした。
僕が小学校3年生の時に大阪万博が行われ、その頃にはかなりのクラシックファンだったんですね。大阪万博でカラヤンはベルリン・フィル(ハーモニー管弦楽団)を連れてきて、ベートーベン全曲を演奏し、バーンスタインはニューヨーク・フィル(ハーモニック)を連れてきて、当時すごく珍しかったマーラーの『交響曲第9番』を指揮するんです。
カラヤンのベルリン・フィルがベートーベンを演奏することに対しての支持が圧倒的に高い中で、バーンスタインが指揮したマーラーの九番、マーラーと言ってもほとんどの人が知らなかった時代ですが、これがもう素晴らしい演奏だったらしいんですね。それで明らかにライバルとして認められるようになったと。
そういう情報を聞きつけていましたので、5年生の時のお年玉で初めて買うレコードというのが、カラヤンはお兄ちゃんのものだから(笑)、僕はバーンスタインのマーラーだと。全然分かっていないのに、マーラーの『交響曲第一番』を買ってきて毎日聴き続けました。いま思い返すと不思議な縁です。

鈴木 導かれるようにしてバーンスタインと出逢われたのですね。

大和証券グループ本社顧問、日本証券業協会会長

鈴木茂晴

すずき・しげはる

1947年京都府生まれ。1971年慶應義塾大学経済学部卒業後、大和證券入社。引受第一部長、専務取締役などを経て、2004年大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長、大和証券代表取締役社長。2011年大和証券グループ本社取締役会長兼執行役、大和証券代表取締役会長。2017年大和証券グループ本社顧問。同年7月日本証券業協会会長に就任。