「大政奉還」や「一意恭順」など、機に応じた歴史的決断を行い、明治維新への道を開いた最後の将軍・徳川慶喜。しかしその人物や決断への評価はいまだ毀誉褒貶相半ばし、はっきりとは定まっていない。徳川慶喜とはいったいどのような人物であり、決断の真意とは何だったのか——。長年、徳川慶喜の研究に取り組んできた水戸史学会会長の宮田正彦氏に紐解いていただいた。
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水戸史学会会長
宮田正彦
みやた・まさひこ
昭和13年東京生まれ。21年茨城師範学校女子部附属小学校第三学年に転入。35年茨城大学文理学部文学科卒業(史学専攻)。茨城県立水戸第二高等学校教諭、茨城県立太田第二高等学校校長など、教育に携わる一方、茨城県立歴史館学芸第一室長、史料部長を歴任。平成18年より水戸史学会会長を務める。論文・講演多数。