2018年5月号
特集
利他りたに生きる
  • 筑波大学名誉教授柳澤嘉一郎

利他的な遺伝子を考える

地球上に現存する多様な生物は、すべて進化によって生じてきたと考えられている。進化論の自然淘汰説によると、すべての生物の遺伝子は皆利己的で、利他的なものは淘汰されて存在しないことになる。では、私たちの社会に見られる利他的な行為は遺伝子によるものではなく、環境、すなわち教育や躾などの結果によるものであろうか。本当に利他的な遺伝子は存在しないのだろうか。遺伝子の研究者である柳澤嘉一郎氏にお話を伺った。

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「遺伝子はすべて利己的である」

戦後、私たちはアメリカナイズされた資本主義のもとで、ひたすら自己の利益を追求してきたような気がします。他人のことを顧みるような余裕、思いやりはあまりなく、利他性は人々の意識の底に沈積ちんぜきして目立たない存在となっていたかのようです。しかし、人間の利他性が失われることはないと私は考えています。ここでは、その理由を生物学の立場からお話ししてみたいと思います。
 
話を進める前に、まず利己的、利他的という言葉はどのように定義されているのか知る必要があります。利己的とは「自分の利益のみを追求すること」、利他的とは「自分の利益を犠牲にして他人の利益を優先すること」です。生物学の立場からすると、この利益とは「個体の生存と子孫を繁殖はんしょくすること」です。
 
地球上に初めて生命体が誕生したのは38億年ほど前であると推定されていますが、いま、私たちが目にする生物たちはすべて、その長い間、苛酷かこくな環境に耐えて、「自分だけはなんとしても」と頑張って生き残ってきたものの子孫たちなのです。利己的であって当然で、利他的であれば、とうに淘汰とうたされていたでしょう。
 
けれども不思議なことに、利他的な行為をしているにもかかわらず、淘汰されずに生き残っている生物もいるのです。それはハチやアリなど集団で社会生活を営んでいる社会性昆虫と呼ばれるものたちです。
 
例えば、ハチにはご存じのように女王バチと働きバチとがいて、女王バチはひたすら自分の卵を産み、働きバチはその卵や幼虫の世話をして育てます。誰が見ても働きバチの行動は利他的で、自分の利益を犠牲にして、女王バチの利益を優先しているように見えます。
 
にもかかわらず、働きバチは淘汰されずに何億年もの間生き残ってきている。これはなぜでしょうか。明らかに進化論の自然淘汰説では説明できそうにありません。
 
一部の生物学者たちは、この難問に挑んで考え、長い間論争を重ねて答えを見つけました。それは、淘汰は個体ではなく、遺伝子にかかっているのだと考えることでした。
 
女王バチと働きバチは、見た目も、することもまったく違っていますが、もともと同じ親から生まれた個体で、遺伝子型も同じです。その違いは、育てられた時の餌の違いによるもので、普通のみつや花粉で育てば働きバチに、その働きバチが分泌ぶんぴつするローヤルゼリーで育てば女王バチになるのです。したがって、働きバチは自分自身の繁殖を放棄しても、女王バチの卵を育てていれば、自身が繁殖したのと同じように自分と同じ遺伝子を次の世代に伝えることになり、その利他的な遺伝子は淘汰されることなく生き残ることになります。
 
こうして淘汰を個体レベルでなく遺伝子レベルで考えることによって不思議と思われた社会性昆虫たちの行動も進化論の自然淘汰説で説明でき、その結果、「遺伝子はすべて利己的である」と結論されました。
 
しかし私たちは日頃、他人の親切や思いやりのような利他的な行為を経験していることもまた事実です。では、もし遺伝子はすべて利己的ということになれば、こうした利他的な行為は生得的ではなく、利他的な遺伝子は存在しないということになるのでしょうか。

筑波大学名誉教授

柳澤嘉一郎

やなぎさわ・かいちろう

昭和6年長野県生まれ。コロンビア大学大学院博士課程修了。ブランダイス大学、スローン・ケタリング癌研究所、東京教育大学などを経て、筑波大学に。著書に『遺伝学』(岩波書店)『利他的な遺伝子』(筑摩選書)など。