2025年9月号
特集
人生は挑戦なり
対談
  • 四万十ドラマ会長畦地履正
  • 南山城社長森本健次

かくして我が郷土を
輝かせてきた

ここにしかない宝を磨き抜く

高知県四万十町と京都府南山城村。一見集客に不利な奥地にありながら、平日も賑わい、全国にファンを持つ「道の駅」がある。その躍進の源にあるのは、地元に深く根ざし、その魅力を内外に発信する〝地域商社〟の挑戦と努力だ。それぞれの地域を牽引してきた四万十ドラマの畦地履正会長と南山城の森本健次社長、師弟関係で結ばれたお二人に地域を光り輝かせる道とは何たるかを披瀝いただく。

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    「誰がやるんじゃ!」飲みの席での一喝

    森本 あああぜさん、きょうはよろしくお願いします。

    畦地 1、2か月ぶりですかね。ちょくちょく会っているから曖昧あいまいで。最初に会ったのは確か……。

    森本 13年前、2012年の2月です。僕はまだ地元のみなみやましろむら役場の職員で、いまは社長として運営している「道の駅お茶の京都みなみやましろ村」の基本計画を立てているところでした。
    初めに紹介しますと、南山城村は京都の南にある府内唯一の村です。実は、全国的に有名な宇治茶を支える京都産のお茶の3割を生産している茶どころなんですが、当時はほぼ知名度がなくて。そこへ道の駅の開業を発表したら否定的な意見が多く、「魅力あるむらづくり推進室」の責任者として悩んでいたんです。
    それで基本計画策定を受注したコンサルタントに相談したら、交通量が1日1,000台しかない高知県の山奥、旧とおそんで「道の駅まんとおわ」を運営し、すごい実績を上げている〝地域商社〟があると。それが畦地さん率いる「四万十ドラマ」でした。
    予算も少ないので、職員4人で1台の車に乗って、7時間かけて四万十まで視察に行きました。

    畦地 来られた日に一席設けたんでしたね。いまだに笑いぐさですけど、僕は一番年配に見える人が責任者だと思って、その人に向けてしゃべっとった。実の責任者は隣にいた森本さん。当時40そこそこ、茶髪に長髪で、役場にもこんなやつがいるのかと思ったね。

    森本 地元では〝デキる公務員〟だったんですよ(笑)。

    畦地 高知は飲む文化ですから、「よう来たね」と酒を注ぎつつ、腹を割らせようと考えていました。
    というのも、あの頃の道の駅は大抵、自治体が出資する第三セクターが運営していて、赤字のてんは自治体頼りでした。一方僕らは、民間から指定管理業者(自治体の委託により公の施設の運営、管理を担う)となり、行政の援助に頼らず経営していました。果たして、南山城村が目指しているのはどっちかなと。
    それがいくら話を聞いても判然としないので、プッツンきてね。酔った勢いで「誰がやるんじゃ!」と言ってしまった。

    森本 いま思うと、まさに本質をいた一喝でした。それまで自分が腹をくくるべきだと薄々思いつつ、役場や議会のルールがあって踏み切れなかった。そんな僕の背中を強く、のけるくらい押してくださったのが畦地さんでした。

    畦地 やっぱり中心に立つ人、腹を括ってやる人がいないと成功しないですから。でも森本さんは帰ったらすぐ村長に報告して「役場を辞めます」って宣言した。
    その場では慰留されたそうですが、ああ、こいつは本気やな、僕らも腹を括って、培ってきたもの、引き出しを全部見せないかんと思いましたよ。最終的に、当社のノウハウを移転して道の駅を進めることになった。
    僕は「地域の人が地域のものを、『私たちはこんなものをつくっています』と誇りを持って発表する場所」、それが道の駅だと思います。自分の足元、他にはない地域のよさを来た人に伝える。その役目は、絶対に地域の人であるべきだというのが持論ですね。
    それを森本さんがやってくれて、いまや全国の道の駅のモデルになっている。もし失敗していたら、いまの四万十ドラマへの評価も、いまの僕もなかったでしょうね。

    四万十ドラマ会長

    畦地履正

    あぜち・りしょう

    昭和39年高知県生まれ。58年高知県立高知東高等学校卒業後、62年十川農協に就職。平成6年四万十川中流域三町村(大正町・十和村・西土佐村)の第三セクター・四万十ドラマに移る。17年四万十ドラマ株式会社(完全民営)化。19年社長に就任、「道の駅 四万十とおわ」開業。30年まで指定管理業者を務める。令和6年会長。

    〝田舎だから何もない〟は本当か?

    森本 それにしても、あの頃は高速道路がいまほど延びていなくて、四万十に行く時は大変でした。

    畦地 高知市内からでも2時間くらいかかりますからね。
    高知というとかつおや海のイメージが強いと思いますが、県面積に占める森林率は84%で日本一、れっきとした森の県なんです。
    僕が生まれた旧十和村は四万十川の中流域、真ん中にあります。1994年、この十和村と隣の2つの町村が共同で、地域振興のための第三セクターとして設立した組織が四万十ドラマです。経緯は後で話しますが、僕は設立時に職員として採用され、2007年に社長に就任。自治体が開設した「道の駅四万十とおわ」の指定管理業者になりました。
    この道の駅では、地元産品に加え、我々が開発した商品も展開して好評になりました。例えば、昼夜の寒暖差が大きい四万十の山で育ち、大きく甘く育った栗を生かしたブランド「しまんとぐり」。砂糖を極力抑え、栗の味が楽しめる「ジグリキントン」をはじめ、未だに多くの商品が人気です。
    全国の道の駅の年商は平均2億円とされる中、僕らは1日の交通量はわずか1,000台で、行政の支援や銀行の融資は一切受けず、会社全体で5億円までいきました。年間利用者数は、レジ通過分だけで年間15万人です。

    森本 いや、さすがです。ご指導のおかげもあって、「道の駅お茶の京都みなみやましろ村」はいま、年商でいうと7億円。利用者は年間で約62万人です。

    畦地 抜かれちゃってる(笑)。

    森本 村の税収は3億円余りで、その2倍以上の売り上げが立っているのはありがたい限りですね。
    うちは、地元で栽培される様々な種類のお茶を「むらちゃ(村茶)」というブランドで販売しています。人気なのは村で春先に摘んだ茶葉でつくる「村まっちゃソフトクリーム」。濃厚なお抹茶味と、綺麗きれいな緑色が特徴の品種「おくみどり」を使って、注文を受けたその場でつくります。連休シーズンには1日で1,400本売れることもあるんです。

    畦地 1,400本。

    森本 大きな画面に食券番号が表示されるのをお待ちいただくんですが、もう壮観ですよ。

    南山城社長

    森本健次

    もりもと・けんじ

    昭和42年京都府生まれ。60年京都府立木津高等学校卒業後、南山城村役場入職。平成22年「魅力あるむらづくり推進室」担当。茶農家と共に南山城紅茶プロジェクトを立ち上げる。27年南山城村出資の株式会社南山城社長に就任。28年南山城村役場を退職。29年「道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村」開業。