2024年10月号
特集
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く
一人称
  • 武者小路実篤記念館副主幹、首席学芸員伊藤陽子

武者小路実篤

理想に向かい歩み続けた人生に学ぶ

「この道より我を生かす道なし この道を歩く」。本誌今号の特集テーマに掲げた名言でもつとに有名な文豪・武者小路実篤。生涯に執筆した作品は7,000篇を超え、活動は文筆にとどまらず、書画、そして「新しき村」の創設にも及んだ。己の理想に向かい、ひたすら歩み続けた実篤の横顔について、武者小路実篤記念館の伊藤陽子氏に伺った。
(提供=武者の小路実篤記念館)

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他人にではなく自分自身に向けた言葉

『友情』『人間万歳』『真理先生』などの名作で知られる文豪・武者小路実篤。彼が晩年を過ごした東京都調布市にある「武者小路実篤記念館」の学芸員を務めて、早38年が経ちます。

実篤の小説は中・高生の頃から読んでいましたが、当時の私はごく普通の読書好きに過ぎず、その人となりについては一般的な知識しかありませんでした。大学では中世の歴史を専攻し、学芸員を志していたところ、ご縁があって4年次の10月に開館した当記念館からお話をいただきました。専門とは異なるため随分悩みましたが、きっと取り組む価値があると考え、思い切って飛び込んでみることにしました。

研究を始めて驚いたのが、実篤の仕事の量と幅、影響範囲の広さです。たった一人の人物を対象にしているにもかかわらず、いまもハッとさせられるような新しい発見がある。学芸員として幸せな出会いだったと思っています。

そんな実篤の魅力をもっと多くの方に知っていただきたい。常々抱いてきた思いが一つの形になったのが、一昨年(2022年)に当記念館より刊行した『武者小路実篤名言集 生きるなり』です。

実篤の言葉といえば、「仲よき事は美くしきかな」など、あの素朴な筆致で描かれた書画を思い浮かべる方も多いと思います。おおらかな作風で知られますが、それはあくまでも実篤の一面に過ぎず、若い頃の言葉には驚くほど激しいものもたくさんあります。

この名言集の編集に際して、そうした実篤の様々な横顔に触れていただきたいと思いました。同時に、発刊がコロナ明けであったことから、人を元気づけ、前向きにしてくれる97の言葉を厳選して収録しました。

「この世にはいろいろの不幸がある、しかしその不幸からよきものを生み出そうとし又生みだし得るものは賢い人である」

「ふまれても、ふまれても、我はおき上るなり/青空を見て微笑むなり、星は我に光をさづけたまうなり」

実篤の言葉を「上から目線で説教くさい」「前向き過ぎて重たい」などと敬遠する向きもあります。けれども私が人物と作品に長い間向き合ってきて実感するのは、彼の言葉は他人にではなく、すべて自分自身に向けたものであるということです。そう思って読めば、武者小路実篤という人物の印象は一変するのではないでしょうか。

実篤は決して聖人君子せいじんくんしではありません。自身でも記していますが、ずるいところ、自分に都合よく考えるところ、親馬鹿ばかで子煩悩ぼんのうなところもあり、とても人間くさい人です。また、自らの理想を実現しようとち上げた「新しき村」では、「僕の村とわれるのは不本意だ」と、創設者であっても一会員の立場を貫きました。人の上に君臨くんりんしようとは思わず、常に他者と同じ地平に立とうとする。その一貫した態度も、武者小路実篤という人物の大きな魅力です。

名言集の編集でもう一つこだわったのは、その言葉が書かれた時の年齢を付記することでした。

例えば、「笑われるのを恐れるよりは/心にないことを云うのを恐れなければいけない」は33歳、「生れけり/死ぬるまでは/生くるなり」は38歳の時の言葉。その年齢の時、自分は何を考えていただろうと思います。また、「我は生きぬく」という言葉が84歳の時に書かれたと知ると、より一層胸に響きます。

「私は奇抜な事は嫌いです。平凡なことが好きです」という言葉は、私自身何度も読んでいたはずなのに、ある時ふと心に引っかかり、深く共感を覚えました。「迷いのない人は恐ろしい」という言葉には何度も励まされ、実篤の名言選びでは必ず候補に挙げる大切な言葉です。

本書を手に取っていただいた方にもそんなふうに、ご自分の人生と照らして読んでいただきたいと願っています。

武者小路実篤記念館副主幹、首席学芸員

伊藤陽子

いとう・ようこ

東京都生まれ。武蔵大学人文学部日本文化学科卒業後、調布市武者小路実篤記念館の学芸員に。現在、同館の副主幹、首席学芸員。令和4年同記念館より刊行された『武者小路実篤名言集 生きるなり』の編集を務める。