2016年7月号
特集
腹中書あり
我が人生の腹中の書③
  • 認定NPO法人 脳脊髄液減少症患者、家族支援協会代表理事中井 宏

どんな絶望の
中でも必ず希望は
生まれてくる

転倒や交通事故などの外傷によって、脳の周りを循環する脳脊髄液が漏れ出し、激しい頭痛や嘔吐、全身の倦怠感といった様々な症状に苦しめられる脳脊髄液減少症。近年ようやく世間に認知され始めた症例だが、かつては”医学的にあり得ない”とされ、社会的無理解や国からの支援も全く望めない状況だった。自身も脳脊髄液減少症との10数年にわたる壮絶な闘病を経験しながら、国との交渉など患者救済にも力を尽くしてきた中井 宏氏に、その苦難の歩みと心の支えとしてきた読者体験について語っていただいた。

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突然襲ってきた原因不明の体調不良

何事にも明るく前向きで行動的な性格だった私が、「海外に出て、もっと自分の世界を広げてみたい」と、6年勤めた大手電力直系会社を退職したのは昭和64年、25歳の時でした。しかし、留学先もカナダに決まり、出発の準備をしている最中、私の人生を大きく変える出来事が起こります。叔父宅で何かの拍子に口論となり、叔父に背中を押されて転倒。敷居でこめかみを強打したのです。

直後から頭部に違和感があったものの、病院の検査では異常は見つかりません。それで問題はないだろうと、私は2週間後にカナダへと飛んだのでした。

ところが、現地に到着して3日ほど経った頃でしょうか。夜中に突然、これまで経験したことのない非常に激しい頭痛と嘔吐に襲われ、それが朝まで延々と続いたのです。危険を感じた私は、症状が落ち着いてから、近くの病院に駆け込んだのですが、「診たところ異常はありません」と診断されます。

しかし、その後も夜中に激しい頭痛と嘔吐が起こり、朝になると症状が治まってくる、地獄のような日々が1週間続きました。そして、だんだん頭痛と嘔吐の症状がなくなってきたかと思うと、今度は視界が三重、四重に見え始めたのです。

ここに至ってようやく総合病院で検査することになり、結果は脳の両側に出血が見られるというものでした。ただ、既に血腫が吸収され始めていて、手術をするかは微妙だというので、私は咄嗟に「数日待ってほしい」と答えたのでした。すると、3日後の再検査では血腫は見つからず、頭痛などの症状もよくなっていったのです。

その後は特に体調に不安を感じることもなく、海外での生活を満喫する日々を送りました。
そんな私が再び原因不明の体調不良に襲われるのは、1年のカナダ留学を終え、もっと勉強したいとイギリスへ渡ってしばらく経った頃でした。アルバイトをしながら、現地の学校で勉強していたのですが、歯が痛み始め、全身に激しい倦怠感を覚えるようになったのです。

それでも、海外生活が楽しくて仕方がなかった私は、そのまま現地企業に就職を決め、ベルギー支店で働くことになりました。しかし、症状は悪化の一途を辿り、倦怠感からぼーっとすることが増え、歯痛で食欲がなくなり体はどんどん痩せ衰えていきます。また、痛みから逃れるため歯を何本も抜きました。

そして、ついに周囲の人たちから「一度、日本に戻って検査したほうがいい」と諭され、平成4年に私はやむなく帰国することになったのでした。

認定NPO法人 脳脊髄液減少症患者、家族支援協会代表理事

中井 宏

なかい・ひろし

昭和39年和歌山県生まれ。工業高校卒業後、大手電力直系会社入社。64年に同社を退職し、カナダ・イギリスなどに留学。その頃から原因不明の体調不良に悩まされ、10数年に及ぶ闘病生活を経験する。平成14年に脳脊髄液減少症と診断されたことで、「認定NPO法人脳脊髄液減少症患者・家族支援協会」を設立し、代表理事に就任。以後、患者救済のために尽力してきた。