2025年3月号
特集
功の成るは成るの日に
成るに非ず
インタビュー②
  • 認定NPO法人ヒカリカナタ基金理事長竹内昌彦

苦難を経てこそ
人生の花は咲く

子供の頃に失明し、盲学校教師となった竹内昌彦さんには若い頃から温め続けてきた夢があった。それが発展途上国に盲学校を建てることだった。人生の後半、その夢を実現した竹内さんは新たな人生のテーマと出合う。途上国にいる小児白内障の子供たちを救済することである。今年八十歳になる竹内さんに、苦難多き人生を振り返っていただきながら、活動に懸ける思いを語っていただいた。

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1,000人の子供たちの目が見えるようになった

──竹内さんは発展途上国の目の不自由な子供たちのために「ヒカリカナタ基金」を設立して、その支援に力を尽くされていますね。

はい。私は1968年から50年間、岡山盲学校で教壇に立ち、あんはりきゅうを教えてきました。そんな私にとって世界の途上国に日本と同じような盲学校をつくって、視覚しょうがい者の自立を助けるのが長年の夢だったんです。
長年貯蓄していた講演の謝金100万円と皆様からの寄付をもとに2011年、モンゴルに念願の盲学校を建てることができ、4年後にはキルギスにも学校ができました。目の見えない子供たちが一所懸命にマッサージを学び社会に巣立っていくのが大きな励みだったのですが、ある時、入学希望の子供たちの中に、手術すれば目が見えるようになる小児白内障のモンゴルの子がいると連絡を受けましてね。
私自身、子供の頃に失明した人間ですから、目が見えんつらさは痛いほど分かります。「手術にいくらくらい掛かる?」と聞いたら「3万円〜5万円です」と。「お金は後で送るからすぐに治してやってほしい」と言って電話を切りましたが、手術をしたら本当に見えるようになったんです。
それで関心を持って調べてみると、手術代が準備できずに見えない目のままで暮らしている白内障の子がたくさんいることが分かりました。3万円〜5万円といったら、向こうの人にしたら大変な金額ですよ。私のわずかな収入だけでは追いつかない。そこで2016年、協力者と共に基金を立ち上げ、翌年にNPO法人化しました。

──これまでにどのくらいのお子さんの視力が回復したのですか。

モンゴル、キルギス、ネパール、カンボジア、ミャンマー、ベトナム、ウズベキスタンの7か国で974人の子供たちの目が見えるようになりました。当初1,000人を目標としていて、おそらくこの月刊誌が出る頃は目標を達成していると思います。
私ももうすぐ80歳なのであまり無理はできませんが、コロナ前まではいつも現地に足を運んでいました。子供たちは「一番前じゃなくても黒板の字がよう見える」「自転車に乗って走り回れる」と報告してくれて、家族はそれこそ手を合わせて拝まんばかりに感謝してくれる。その思いは手に取るように伝わってきます。子供たちには「よかったな。大きくなれよ」くらいしか言ってあげられませんが、私の喜びも言葉では表現できないものがありますね。
私の人生にはいろいろな辛い出来事も多くありました。しかし、こうして人生の後半を迎えたいま、自分が一番やりたかったことをやれるのをとても幸せに思っているんです。

認定NPO法人ヒカリカナタ基金理事長

竹内昌彦

たけうち・まさひこ

昭和20年中国天津で生まれる。43年東京教育大学(現・筑波大学)教育学部特設教員養成部を卒業後、岡山県立岡山盲学校教諭になり、教頭を歴任し平成17年に退職。23年モンゴルに、27年キルギスに盲学校をつくる。28年発展途上国の視覚障碍児の支援を目的に認定NPO法人ヒカリカナタ基金を設立し理事長に就任。その人生体験に基づく講演は約3000回を数える。