2026年1月号
特集
拓く進む
  • 安藤百福発明記念館横浜前館長筒井之隆

安藤百福ももふく
時代を切り拓いた
その信念に学ぶ

48歳で世界初の即席麺「チキンラーメン」を、61歳の時に世界初のカップ麺「カップヌードル」を生み出した日清食品創業者・安藤百福氏。47歳で無一文になった氏はいかにして再起し、20世紀を代表する発明を成し遂げたのか。氏の側近として20年以上行動を共にしてきた筒井之隆氏に、安藤氏の波瀾万丈の人生、時代を切り拓いた信念について語っていただいた。【画像=日清食品ホールディングス】

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    〝世界の食を変えた男〟の謦咳に接して

    私が「チキンラーメン」「カップヌードル」の発明者として知られる安藤百福ももふくさんと出逢ったのは、読売新聞社に勤めていた38歳の時です。安藤さんが全国の郷土料理を探訪する連載を開始することになり、私が取材に同行して記事を書く機会に恵まれました。

    安藤さんは〝世界の食を変えた男〟との異名を取る日本を代表する経営者のお一人ですが、決して威張らず、ユーモアに富み、一記者である私とも懇意にしてくださいました。約3年間にわたって安藤さんと共に全国各地を渡り歩くうちに、その人柄にかれていったのです。

    安藤さんもまた、私の記事を気に入ってくださったのでしょう。連載が終わる頃には「君みたいな人がいると便利だから」と、入社を勧められました。便利という言葉には少々引っ掛かりましたが、創業者から直々じきじきにお声掛けいただけることはサラリーマンみょうに尽きると思い1985年、41歳の時に日清食品に入社しました。

    入社以来、秘書室長や広報部長として安藤さんが亡くなるまでの22年間そばに仕え、そのけいがいに接してきました。私は安藤さんの話を聞きながら心に響いた言葉や口癖などをノートにメモする習慣がありました。今回の取材を機に改めて読み返してみると、真っ先に目に飛び込んできたのは、折に触れて口にされていた「仕事をたわむれ化せよ」という言葉です。

    我を忘れて夢中に働くための最上の方法は戯れ化する、つまり遊び心を持つこと。そのためにはまず、自分で仕事を企画立案する。自ら始めた仕事は成功も失敗も自分の責任だからこそ、楽しみながら打ち込めると言うのです。「興味を持って取り組んだ仕事には疲労がない」とも言われました。

    こうして説明された後、「君のような遊び人は、この言葉を勘違いしそうで危ないな」と笑いながら注意されたことも忘れられない思い出です。

    安藤百福

    あんどう・ももふく

    明治43年台湾生まれ。大正13年高等小学校を卒業後、祖父の経営する織物業を手伝う。昭和9年立命館大学専門学部経済科修了。23年中交総社(現・日清食品)創業。33年世界初の即席麺「チキンラーメン」を発明、日清食品に商号変更。46年世界初のカップ麺「カップヌードル」を発明。平成14年勲二等旭日重光章受章。19年96歳で逝去。著書に『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』(日本経済新聞社)『食欲礼賛』(PHP研究所)など。

    安藤百福発明記念館横浜前館長

    筒井之隆

    つつい・ゆきたか

    昭和19年大阪府生まれ。42年同志社大学卒業後、読売新聞大阪本社入社。60年日清食品入社。秘書室長、広報部長、宣伝部長、マーケティング部長、常務取締役を歴任。平成23年安藤百福発明記念館横浜(カップヌードルミュージアム横浜)館長就任。令和3年退任。著書に『転んでもただでは起きるな! 定本・安藤百福』『鎌倉ジャズ物語―ピアニスト松谷穣が生きた進駐軍クラブと歌謡曲の時代』(いずれも中央公論新社)など。