2023年7月号
特集
学を為す、故に書を読む
対談
  • 箕面自由学園高等学校 チアリーダー部監督野田一江
  • 中村学園女子高等学校剣道部監督岩城規彦

人間学の学びが
子供たちに
与えるもの

日本一に輝き続ける学校は何が違うのか

コロナ禍で満足に教育の機会が提供されず、またIT化により大きく変貌しつつある現代の教育現場。そこに〝人間学〟の学びがもたらされると、子供たちはどう変わるのか。全国優勝常連校として君臨する箕面自由学園高校チアリーダー部と中村学園女子高校剣道部は、共に『致知』を使った勉強会「学内木鶏会」を導入して2年が経過した。両校の監督を務める野田一江氏と岩城規彦氏に、現場の生の声を伺った。

この記事は約23分でお読みいただけます

日本一の監督が語るトップを取り続ける秘訣

岩城 野田先生、初めまして。先ほどチアリーダー部の活動の様子を見学させていただきましたが、活気があっていいですね。すれ違う度に選手がハキハキと挨拶をしてくれ、エネルギーに満ちあふれていました。部活開始前の挨拶がそろわずバラバラになっていたのを、野田先生はすかさずやり直しさせましたよね。
僕も監督を務める中村学園女子高等学校剣道部の選手たちに「挨拶など基本が雑になった時に必ずミスをする」と伝えているので、ああ一緒だなと思いながら見させていただきました。福岡に戻ったら真っ先にこの様子を選手たちに伝えるつもりです。

野田 挨拶は大事ですよね。でもきちんと立ち止まって目を見て挨拶できる部も他にあるので、うちの子たちはまだまだです。

岩城 60名ほどいる部員全員で、ピシッと統率の取れた挨拶は日頃からやっていないとできないですよ。基本的なベースが鍛えられていることがすぐに分かりました。

野田 そう言っていただけて恐縮です。箕面みのお自由学園高等学校チアリーダー部はこれまでに38回日本一になっています。そのため外からはすごい部のように見られがちですが、選手たちはもう本当に普通の高校生なんです。日本一になった回数以上に、大小様々な失敗を数え切れないほどしています。
つまらない話で言えば、遠征時の集合場所を間違えた、朝寝過ごしたなど、恥ずかしい失敗がたくさんありますし、技術面ではチアリーディングの大技に挑戦する時、練習では失敗を繰り返しています。失敗は誰しも絶対にあって、失敗した時に誰かの責任にしないで真っ正面から向き合い、どうすれば解決できるかが大事だと思います。
よく、なぜ日本一を取り続けられるのかと質問されるんですけど、今回改めて自問自答する中で、この失敗を恐れずチャレンジし続ける積極性が部の基本姿勢として根づいているからだと感じました。

岩城 ああ、失敗を恐れない。僕たちもいま高校女子剣道界では史上初のインターハイ6連覇中で、その勝因を聞かれることがあるのですが、特段連覇を意識したことはありません。結果としてそうなっているだけで、僕としてはその年、その年でベストを尽くしてきただけなのです。
学校の教員は毎年生徒が替わっていく中で勝負をしなければいけません。その中で僕がいつも気をつけているのは手抜きをしないこと。「今年優勝できたから、次の年も同じようにする」ではなく、一度山頂まで辿り着いても、新年度を迎えてチームが新しくなる度に、必ずふもとまで下りてその時の生徒と共にまた一から山を登っていく。登り詰めた山を下るのって、結構勇気が要るんですね。でもそこで手を抜かず丁寧に一からやり直すことが、結局毎年強いチームをつくる上で不可欠だと思います。

野田 そこは私たちも一緒です。チアリーディングは対戦スポーツではなく、演技の点数で成績を競います。そのため私たちは去年の自分たちを越えることを目標に毎年戦っているんですけど、そうすると圧倒的な強さでないと去年の自分たちの点数を越えられないんですね。毎年過去最高得点を更新する勢いでやってきているので、自分で自分の首を絞めているようなもの(笑)。どんどん難易度の高い技に挑戦して、チーム力も上げていかなければトップで居続けることはできません。
トップ争いになればなるほど、一つのミスが命取りになります。ですから練習でたくさん失敗をさせる。練習で何度も何度も失敗している子は、その分上達しますし、心が強くなります。逆に、練習で失敗しないように守りに入っている子は、本番にこれまで自分を擁護してきたことが頭をぎって、ミスをしてしまう。

岩城 よく分かります。僕は勝てる選手ではなく負けない選手を試合で使うと子供たちに伝えています。粘り強く戦える子って、負けないから勝てるチャンスが巡ってくるんですね。
僕自身は連覇を意識していないとはいえ、子供たちはどこかで必ず意識しています。でも、僕が変にアプローチをしなくても、優勝してきた先輩たちの後ろ姿を見てきているので、挨拶や日常の生活態度しかり、部の当たり前のレベルが高まってきていると感じています。これをチームの〝伝統〟と言うのでしょうか、そういうものが脈々と受け継がれてきているなと実感しています。

箕面自由学園高等学校 チアリーダー部監督

野田一江

のだ・かずえ

昭和40年大阪府生まれ。京都市立堀川音楽高等学校、同志社女子大学学芸学部音楽学科卒業後、クラリネット奏者として活動。平成2年音楽の非常勤講師として箕面自由学園高等学校に着任。3年チアリーダー部創設に際し、〝チア経験ゼロ〟で指導を始める。ジャパンカップ9連覇を含む、全国優勝38回の常勝チームをつくり上げる。

競技との出逢い 日本一に至る道のり

岩城 野田監督は指導に携わられてもう30年以上ですよね。初めて日本一を手にされたのはいつ頃でしたか?

野田 創部6年目の年です。25歳の時に箕面自由学園高校の音楽の非常勤講師に着任したんですけど、翌年にアメフト部の応援団として誕生したチアリーダー部に指導者がおらず、「音楽の先生だったら発声くらい教えられるよね」ということで携わるようになりました。ルールも何も分かりませんから、他校の演技をそのまま真似るところからのスタートでした。
2年目に初めてチアリーディングの大会に出場し、そこでチアの魅力に惹き込まれました。そうしてただ楽しい、もっとうまくなりたいという情熱だけで突き進んできました。無知だったからよかったのでしょうね。怖いもの知らずで難しい大技にもどんどん挑戦し、6年目に日本一に。そうしたら、見える景色が180度変わったんです。トップになるとこんなに気持ちいいのかともうびっくりしまして。と同時に、日本一になると周りの見る目が変わるんです。そこから、「日本一に相応ふさわしいチームってなんだろう」と考えるようになりました。

岩城 日本一に相応しいチーム。

野田 お恥ずかしい話ですが、まったしつけができていなかったので、生徒はルーズソックスを履いてアイスクリームを食べながら歩いたりと(笑)。私自身も未熟で、両親から「感謝の心」を持つように育てられたにもかかわらず、学生時代は聞く耳を持たず過ごしました。よくオリンピック選手とかが優勝インタビューで、「支えてくださった方に感謝です」と述べているじゃないですか。「頑張ったのは本人やのに、誰に感謝するんやろ」と思っていましたし、両親に対しても、育ててくれたのは当たり前だというひどい態度だったんです。
でも本気で日本一を目指して頑張っていると、こんなにも応援されているのかと感じる瞬間があって、これはもう感謝しかないと心の底から湧き上がってくる思いがありました。20代の最後にしてようやく、感謝とは何かに気づくことができたのです。きっと、この競技に携わっていなければ私は人に感謝することを一生知らなかったと思います。だからありがたかったですね。
岩城監督はいつ頃から日本一を目指されていましたか?

岩城 僕が中村学園女子に赴任してきた時は福岡県でベスト16くらいのチームで、最初は県大会で優勝したいというところからのスタートでした。
僕は男子校の出身ですし、それまで6年間はずっと男子校で指導してきたため、女子の世界ではどのくらい強いのかさえ分かりませんでした。また、僕自身剣道をやっていたとはいえインターハイに出場できるほどの選手ではなかったので、日本一の場を知りません。
ですから、赴任当初は大変でした。28歳とまだ若く、自己満足で激しく指導してしまい、生徒から総スカンを食らうんです。

野田 女の子って頭ごなしに叱るとねますからね(笑)。

岩城 教員を辞めようかと真剣に悩んだ時期も正直ありましたが、「ここで辞めてしまえば、たぶんどこにいってもうまくいかないだろう。逃げるのは悔しいので、勝ってから辞めよう」、その反骨心が原動力になりました。
それから5年後、本当に偶然ですけど、中学の時に日本一になった子が入学してきたんです。彼女が高校でも明確に日本一を掲げていたので、「頑張れば高校でも日本一になれる!」と激励し、そこから二人三脚で共に勉強しました。
その子は剣道技能に関しては申し分ないんですけど、ちょっとヤンチャな子で、躾といいますか挨拶や返事といった普段の言動から徹底的に指導したことを覚えています。そこで、日常生活を正すことが競技の実力にも反映することを身をもって教えられました。
うちは全寮制なんですけど、一人ひとりが「毎日これをやる」という自己誓約を決めています。それはスリッパを揃える、ゴミが落ちていたら絶対に拾うとか、本当に小さなことです。しかし、その小さなことを毎日やり続けることが、絶対にぶれない自信に繋がっていくのだと確信することができました。
結局その生徒は2年、3年と共に日本一を獲得し、3年時には団体としても初出場で全国3位の成績を収めることができました。

中村学園女子高等学校剣道部監督

岩城規彦

いわき・のりひこ

昭和44年山口県生まれ。福岡大学付属大濠高等学校、福岡大学卒業。母校の大濠高校で1年、中村学園三陽中学で5年の勤務を経て、平成9年に中村学園女子高等学校に赴任。28年から令和4年まで史上初のインターハイ6連覇中。これまでに21回の日本一を獲得。