多くの医者が「治らない」「助からない」と匙を投げた患者さんを〝最後の砦〟として受け入れ、命を救い続けてきた脳神経外科医がいる。佐野公俊氏と上山博康氏である。戦後日本の脳神経外科を牽引し、患者さんのために己のすべてを懸けて病気と闘い続けるお二人に、医療への熱い想い、いまだからこそ後進に伝えたい人生・仕事の要諦を語り合っていただいた。
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総合新川橋病院副院長
佐野公俊
さの・ひろとし
昭和20年東京都生まれ。45年慶應義塾大学医学部脳神経外科入局。51年藤田保健衛生大学赴任。同救命救急センター長、藤田保健衛生大学医学部脳神経外科主任教授などを歴任し、平成22年同大学名誉教授、同大学医学部脳神経外科客員教授。総合新川橋病院副院長、脳神経外科顧問。日本脳神経外科学会理事・監事、世界脳神経外科連盟脳血管障害部門委員長など要職多数。12年、13年開発したクリッピング手術数でギネスブックにも登録。現在、主に川崎と名古屋で手術と外来を行っている。
禎心会脳疾患研究所所長
上山博康
かみやま・ひろやす
昭和23年青森県生まれ。48年北海道大学医学部卒業、同部脳神経外科教室に入局。55年秋田県立脳血管研究センターへ転勤。60年北海道大学医学部へ戻り、同部助手、講師などを経て、平成4年旭川赤十字病院脳神経外科部長に赴任。10年より同院急性期脳卒中センター長を兼任。24年より社会医療法人禎心会脳疾患研究所所長。