元卓球女子日本代表監督として福原 愛選手を世に送り出すなど今日の卓球ブームの火付け役として、また、京浜女子高等学校(現・白鵬女子高等学校)を8度の全国優勝に導いた名将・近藤欽司氏。その近藤氏を師と仰ぎ、当時無名だった古川商業高等学校(現・古川学園)女子バレー部を全国制覇12回へと導いた智将・国分秀男氏。ともに一剣を持し、選手指導に心血を注いでこられた飽くなき道のりを語り合っていただいた。
元卓球女子日本代表監督
近藤欽司
こんどう・きんじ
昭和17年愛知県生まれ。名古屋電気工業高等学校(現・愛知工業大学名電高等学校)時代に、全国高校総体団体優勝、国体優勝を果たす。日産自動車を経て、40年京浜女子商業高等学校(現・白鵬女子高等学校)の監督に就任。全国高校総体で8度の団体優勝に導く。全日本女子チーム監督として、福原愛選手など日本トップ選手を指導し、世界選手権では3度の銅メダルを獲得。平成23年からJOCエリートアカデミーのヘッドコーチを務める。24年日本リーグ女子一部のサンリツ卓球部監督に就任。
古川商業高等学校女子バレーボール部元監督
国分秀男
こくぶん・ひでお
昭和19年福島県生まれ。慶應義塾大学卒業後、京浜女子商業高等学校(現・白鵬女子高等学校)を経て、48年宮城県の古川商業高等学校(現・古川学園)に奉職。商業科で教鞭を執る傍ら、女子バレーボール部を指導。全国大会出場77回、うち全国制覇12回。平成11年には史上5人目の3冠(春、夏、国体)の監督となる。8年から春夏ともに4年連続決勝進出という高校バレー史上初の快挙を成し遂げる。