幕末明治を代表する名僧・今北洪川。廃仏毀釈で仏教界が衰退する中、円覚寺管長に迎え入れられ、他に先駆けて一般の人々に禅の門戸を開いた。洪川のもとに参禅した人物は数多く、明治維新の英傑と称される山岡鉄舟もその一人である。剣・禅・書の達人にして江戸城無血開城を牽引し、明治天皇の侍従を務めた。二人の先達と縁の深い横田南嶺氏、平井正修氏が語り合う、二人の邂逅と交流、人格形成に影響を与えた両親や師の教え、心に響く名言、その生き方からいま私たちが学ぶべきこと(この対談は山岡鉄舟が創建した全生庵にて行われた)。
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臨済宗円覚寺派管長
横田南嶺
よこた・なんれい
昭和39年和歌山県新宮市生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。著書に『人生を照らす禅の言葉』『禅が教える人生の大道』『十牛図に学ぶ』など多数。本対談の関連本に『禅の名僧に学ぶ生き方の知恵』(いずれも致知出版社)。
今北洪川が山岡鉄舟に送った手紙(真筆)「木食草衣未真道 鞅掌王事道宜賖 唐朝幸有先賢跡 乞与顔公共境涯」
臨済宗国泰寺派全生庵住職
平井正修
ひらい・しょうしゅう
昭和42年東京都生まれ。平成2年学習院大学法学部政治学科卒業。静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。13年同道場下山。15年より、山岡鉄舟が明治時代に建立した全生庵の第7世住職を務める。著書に『最後のサムライ山岡鐵舟』(教育評論社)『囚われない練習』(宝島社)『男の禅語』(三笠書房)など多数。本対談の関連本に『活学新書 山岡鉄舟修養訓』(致知出版社)。