2022年2月号
特集
百万の典経てんきょう  日下にっかともしび(とう)
対談
  • 聖徳学園理事長(左)杉山元彦
  • 箕面自由学園学園長兼中学校高等学校校長(右)田中良樹

これからの時代に
求められるのは人間教育

人づくりに徹する両校の実践録

教員の就職率№1の岐阜聖徳学園大学。大阪府内で受験者数№1を誇る箕面自由学園高等学校。両校のトップを務めるのが杉山元彦理事長と田中良樹校長である。初対面ながらも、教育に懸けるひたむきな情熱、高い志に共感し合った本対談。それぞれの歩みを交えて、今日までの実践の日々を語り合っていただいた。

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共に人間教育に力を入れる2校のトップが語り合う

杉山 きょうはわざわざ岐阜にある聖徳学園まで足を運んでいただき、ありがとうございます。私は教育者ではないので、田中先生のお相手になり得るか分かりませんが、よろしくお願いいたします。

田中 いえいえ。私も初めから教師を目指していたわけではないので、そういった話も交えて、いろいろと伺えればと思います。

杉山 本学園の入り口に聖徳太子の「以和為貴」(和をもったっとしとす)の石碑があったかと思いますが、聖徳学園は仏教精神を基調とした教育機関として、浄土真宗本願寺派僧侶をはじめ32名の同志が集って昭和37年に創立されました。私はもともと父がおこした会社の経営をしており、教育は門外漢でしたが、祖父が学園の創設者の一人だったご縁で、11年前に理事長に選出されて務めさせていただくことになりました。

田中 会社ではどんな事業を?

杉山 プラスチック関連の製造業で、従業員60名ほどの会社です。父は私が21歳の時に病死していますので、1988年29歳の時から現在まで、私が社長を務めております。

田中 いまも二足の草鞋わらじかれているのですか。

杉山 ええ。会社には毎朝出社しており、聖徳学園には週4日ほど来ていますが、学園での仕事を終えた後に会社に戻って、夜の8~9時頃まで仕事をしています。田中先生はどういう経緯で教師に?

田中 私はもともと職業会計人を志していました。ところが大学院生時代に会計事務所でアルバイトをしていた時、「これを一生の仕事にするのはちょっと厳しい。自分には向いていないのかも」と感じましてね。その頃たまたま塾講師のアルバイトもしていたのですが、ある女子生徒がひっきりなしに「先生に向いている!」と私の教え方をめてくれていたのです。
また、母親が専門学校で家庭科の非常勤講師をしていたこともあり、幼少の頃から教師の仕事を勧められていたので、教育の道に進むことを決心しました。それから通信教育で教員免許を取得し、27歳で教師になりました。
地歴・公民科の教師として、大阪桐蔭とういん高等学校に14年、近畿大学附属高等学校に11年勤め、2014年、51歳の時に大阪にある箕面みのお自由学園に来ました。

杉山 ではずっと教育ひと筋に歩んでこられたのですね。

田中 ええ。でも実は教師になって3年が経ち、すべての学年を一通り担当し終えた頃、「教師という仕事は自分にとって一生やっていける仕事だろうか?」という迷いが出てきたのです。生徒は毎年変わっても、教える内容はそんなに変わらない。ずっと放電している感覚でした。自分自身が現状に満足し、「学び続ける」ということを忘れてしまっていたのです。
そんな時、たまたま関西学院大学商学部大学院ビジネススクールで社会人の募集を目にして、挑戦の気持ちで試験を受けたら合格し、働きながら2年間通ってMBAを取得することにしました。仕事との両立で大変でしたが、この2年間は非常に充実していました。まず、積極参加型の授業は面白い。知識の切り売りだけではなくディベートで持論を展開し、自分なりに深く考えてみる。それと何と言っても異業種の社会人と切磋琢磨せっさたくましたことで自分の足りなさを痛感し、「教師と呼ばれるに足る人間」としてもっともっと自分を高めなければと思い、いままで抱いていた迷いが綺麗に消え去りました。

杉山 ああ、迷いが消えた。

田中 それまでは地歴・公民の授業を受験教科としてしか捉えられていなかったのですが、自分が広い視野を持って臨めば授業はもっと面白くできる、私自身の学び・工夫によって毎年毎年バージョンアップできる、と痛感したのです。
単なる知識の切り売りではなく、「生きる力」としての学びを子どもたちに与えるためにも、私自身が常に学び、自己を高め、授業そのものを変えなければならないと意識が180度変わりました。

杉山 非常に大きな気づきですね。校長の仕事は学校経営ですから、大学院で学ばれたことは充分いまに活かされていると思いますよ。

箕面自由学園学園長兼中学校高等学校校長

田中良樹

たなか・よしき

昭和38年兵庫県生まれ。大学院を卒業後、通信教育で教員資格を取得し、27歳から教壇に立つ。大阪桐蔭高等学校に14年、近畿大学附属高等学校に11年務める。平成26年から箕面自由学園高等学校の副校長に着任し、翌年校長に。令和3年学園長を兼務。

社会に出て役立つ「生きる力」

杉山 いま田中先生が「生きる力」とおっしゃいましたが、聖徳学園も学力や知識だけでなく生徒たちの人間性を育む人間教育に力を入れています。それこそ今回のテーマ「百万の典経 日下の燈」の通り、現代社会では知識偏重型ではなく、社会で役立つ教養や専門的技能を身につけ、自律的かつ協調的に生き抜いていく確かな人間力が求められています。
このコロナをはじめ、いま世の中では想定外の出来事が次々と起きています。その時に、知識偏重型では「学校で習っていないから」と対応ができません。経済情勢・国際情勢が激動する中で、その社会の変化に適応し、未来を切りひらいていく「生きる力」の育成が不可欠です。当学園には幼稚園から大学までありますが、どの学校でも卒業後の「社会参画」を前提に自主性・社会性・創造性を養えるよう、体験的、実践的な教育を重視しています。

田中 体験と実践。それは箕面自由学園も同じです。うちには大学はありませんが、〈豊かな自然環境を基盤に、体験と実践をとおして、伸び伸びと個性を発揮できる、教養高い社会人を育成する〉という建学の精神のもと、創設以来95年間一貫して「人づくり」を行ってきました。
私は「学力」ではなく「学習力」を育むことをキーワードに据えています。「学習力」は生きている間じゅう、学び続ける力です。まず、「なんでやろ?」を大切にしています。「学ぼう、そして、考えてみよう」という意思、「学び」の方法、「学び続ける」習慣、これらを総称して「学習力」と考えます。
「なんでやろ?」と分からないことを考えてみる、探求しようとする力を養っておけば、理事長先生もおっしゃったように想定外のことが起こった時でも余裕を持って対処することができます。この「学習力を養う」ことが社会に出た時に本当に役立つ「生き抜く力」になり得ると考えています。

聖徳学園理事長

杉山元彦

すぎやま・もとひこ

昭和34年岐阜県生まれ。57年愛知大学法経学部卒業後、父親が創業したパール化成品入社。63年、29歳の時に社長に就任。翌年聖徳学園評議員に。平成23年理事長就任。