2025年12月号
特集
涙を流す
インタビュー③
  • もとや庄治商店社長本谷一知

我が町に希望の光を
ともし続けて

昨年(2024年)の元日に発生した巨大地震、その傷も癒えぬ間に襲いかかった豪雨水害によって、甚大な被害を受けた能登半島。いまだ復興の最中にある現地で営業を続け、人々の心に希望の光を点してきたのが、もとやスーパーである。同店を営む本谷一知氏が、大打撃を受けた売り場を立て直す力になったもの、そして氏を突き動かす思いとは――。

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    地元の人々への恩返しと責任

    ──本谷さんが経営する「もとやスーパー」は、昨年(2024年)の能登半島地震と豪雨水害で甚大じんだいな被害を受けた輪島市まちまちの唯一のスーパーとして、地元消費者のために営業を続けてこられたそうですね。

    まさか1,000年に1度と言われる大災害に、1年に2度も見舞われるとは思いませんでした。それでも何とか商売を続けています。
    この町野町は、奥能登3大市街地の輪島市、能登町、市の真ん中に位置していて、昔は宿場町として栄えていたんですが、近年は少子高齢化で人口も減り、街へ出かける交通手段もありません。
    もとやスーパーは、私の祖父・本谷庄治が1946年に地元で創業したもとや庄治商店が運営するお店です。祖父は戦後に満州から帰ってきて行商を始め、1961年にお店を構えて生鮮食品から衣料品、家電まで扱うようになりました。お客さんに支えられ、地元の生活拠点として64年にわたって営業を続けてきたんです。
    地震と豪雨でお店は大打撃を受けましたが、不便な生活をいられている地元の皆さんに少しでも恩返しをしたい、地元唯一のスーパーとして責任を果たしたい。その一念で営業を続けています。

    ──地震から間もなく2年ですが、近隣の状況はいかがですか。

    この町野町は、損傷がひどくて公費解体の対象になった家が8割以上もあるんです。いまは周りに空き地が広がっていますが、地震の前は家がびっしり建っていたんですよ。世界が一変しましたね。よそへ出て行った住民は、もう戻らないと思います。

    ──そういう中で、どのように商売を成り立たせていくのですか。

    地元のお客さんだけでなく、外からも人を呼び込んでいく必要があります。
    ありがたいことに、震災以降はたくさんの復興ボランティアさんが能登に来てくださるようになりました。多くの方にもとやスーパーを利用していただいて、一つの活動拠点になっているんです。
    私はそこに新しい可能性を感じて、来年「もとやbaseベース」という新事業を立ち上げるために、プロフェッショナルチームを結成して準備を進めているんです。

    ──この町野町で新しい事業を。

    3つのコンセプトがありまして、1つは奥能登全域の観光の受け皿となること。2つ目は、地元住民と外部から来た人の交流促進。そして3つ目は、新しい旅行需要の掘り起こしです。
    公費解体で仮設住宅に入った人の中には、1週間家から出ていないというケースがざらで、うつがすごく多いんです。そういう人が、外へ出て人と触れ合うきっかけをつくりたいんですよ。それから、ボランティアさんたちを通じて実感したのは、人の役に立つ喜びを満たすために被災地へ足を運びたいという需要が相当あることです。
    そこで、スーパーの売り場を3分の1に縮小し、残りの3分の2に宿泊や飲食などができるスペースを設けて、訪れた人に地元の人と交流してもらい、奥能登の観光も楽しんでもらおうと考えて、旅行会社と話を進めているんです。
    これは地方再生に向けた事業モデルの一つで、この試みが上手くいってよそにも飛び火していけば、日本に新しい可能性が開けていくのではないかと期待しています。
    涙を流したくなるようなつらい思いもたくさんしてきましたけど、ここから何かが始まろうとしているんだという高揚感が、いまの僕の支えになっているんです。

    もとや庄治商店社長

    本谷一知

    もとや・かずとも

    昭和52年石川県生まれ。平成12年近畿大学卒業。19年もとや庄治商店入社。24年社長に就任。令和6年能登半島地震と能登半島豪雨により、運営する「もとやスーパー」が大きな被害を受け、同店の立て直しと新事業立ち上げに奔走している。