2019年4月号
特集
運と徳
  • 平澤 興氏ご息女三谷 順

父・平澤興が
遺してくれたもの

後にパーキンソン病研究の基礎となった「錐体外路」の研究で日本学士院賞を受賞した一方、京都大学第16代総長を務めるなど教育者としても多くの人々を導いてきた平澤 興氏。平成元年になくなられて早30年が経つも、遺された氏の言葉の数々は、いまなお多くの人々の拠りどころとなっている。その在りし日の面影を尋ねて、9人きょうだいの第6子に当たる三谷 順さんに父との思い出を語っていただいた。

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いまも忘れがたい父との思い出

平成元年に父・平澤こうが88歳で亡くなってから、早いもので30年が経とうとしています。不思議なもので、いまでも一緒にいるような感覚を覚えるのは、父に書いてもらった書や色紙に囲まれながら日々を過ごしてきたからかもしれません。また、今日に至ってもなお父との思い出は忘れがたく、その余韻よいんみ締めるようにして、つたな筆致ひっちながら書き残したりもしてきました。

一方、父の生まれ故郷である新潟の「曽我そが・平澤記念館」では2年に1回、父とご縁のあった方々による講演会が開かれてきました。私は住まいのある福岡県からの参加でしたが、きょうだいで集まれる数少ない機会ともなり、在りし日の父の面影をしのんだものです。

「去る者は日々にうとし」とあるように、時の経過とともに故人の記憶が人々から薄れていくのは世の常です。30年という歳月は本当に長く、時代の流れにはあらがえないものですが、その中にあって致知出版社ではいまも父のことを折に触れて取り上げてくださっていることは大変ありがたく、感謝の念にえません。父は本当に幸せな人だと思います。

私はこれまでに2度、父について公の場でお話をさせていただきました。初めての講演は81歳の時で、場所は「曽我・平澤記念館」。2度目はその2年後、父の生まれ故郷にある味方あじかた中学校に、創立70周年記念講演の講師としてお招きいただきました。

もっとも、2度目のご依頼をいただいた当時は、手術を終えて退院したばかりだったため、当初はお断りしようと考えていました。ただ、その中学校というのは、父が亡くなる2年前、創立40周年記念講演の講師として立った場所だったのです。それもあって、ぜひにとご依頼をいただいたことから、随分と迷った末にお引き受けすることにしました。

それぞれに準備に時間をかけて精いっぱい務めさせていただきましたが、平澤興の娘とはいえごく平凡な人間ですので、果たしてどこまでお役に立てたかどうかは分かりません。ただ、父と共に過ごした家庭での思い出話であればお伝えできることもありましたので、本欄でも父との思い出を改めて振り返ってみたいと思います。

平澤 興氏ご息女

三谷 順

みたに・じゅん

昭和8年新潟県生まれ。平澤興の4女として生まれる。京都府立大学文学科卒、国文学専攻。27歳で脳神経外科医の三谷哲美氏と結婚。5児の母。