2022年4月号
特集
山上 山また山
インタビュー①
  • 武蔵台病院院長西蔵ツワン

祖国チベットに
思いを馳せて

西蔵ツワン氏の一家がチベットからインドに亡命したのは1962年。いまから60年前のことである。縁あって日本留学を果たし日本国籍を取得して医師になった西蔵氏は、いま何を思うのだろうか。いまだに中国の統治下にある祖国チベット、そこに住む同胞たちへの思いを交えてお聞きした。

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利他の精神で地域医療活動

——西蔵にしくら先生は埼玉県日高ひだか市の武蔵台病院(99病床)で院長をされていますが、お生まれはチベットだとお聞きしています。

はい。私はチベットの出身で、1962年、10歳の時に家族4人でチベットを離れ、インドに亡命しました。留学生として日本にやってきたのはその3年後です。だからチベットを離れて2022年でちょうど60年になりますね。「西蔵」という名字は中国でチベットを意味する言葉です。
いまも中国の統治下にある祖国チベットの問題は依然解決できていないわけですが、私はいろいろなご縁に支えられて日本の学校に通い、日本国籍を取得して医師になることができました。多くの恩人によってここまで育てていただいたというのが実感です。それを思うと、感謝という言葉しかありません。

——医師としてのお仕事の他にも、チベットの支援活動に取り組まれているそうですね。

医師としての仕事から申し上げますと、私は埼玉医科大学にいた頃から最新医療の研究に携わり、専門の肝疾患かんしっかんや消化器に関する論文を発表してきました。これは今回いただいたテーマ「山上 山また山」とも関連することかもしれませんが、私は人がまだやらないことをやってみたいという思いがとても強いんです。一つの目標を達成すると、新しい次の目標に向かって歩んできました。そのためかチベット人としては初めて最新医療を学び、医学博士号を取得することができました。
大学に残って教授になるという選択肢もありましたが、私はどうしても地域医療の道に進みたいと考えました。というのも、この武蔵台病院がある日高市や隣の飯能はんのう市はとても少子高齢化が進んでいるんです。大学を出て県内の病院に勤務し、2009年に当院院長として赴任して以降、お年寄りの皆さんが病気になったら病院、介護が必要になれば介護施設に入所できる地域包括ほうかつケアのシステムを整えたいと思ってやってきました。おかげさまで私たちのグループは医療法人、社会福祉法人を合わせて4施設となり、現在約400人のスタッフが働いてくれています。

——まさに地域医療の中核となったのですね。

これはチベット人のアイデンティティーでもありますが、私が大事にしているのは利他りたの心なんです。利他を仕事の中心にえるのは、我われ医療者の大切な役目なのですが、こういう進化した世の中では利他の実践がなかなか難しいところもあります。しかし、私はあくまでも相手の立場に立つことにこだわっています。目の前の患者さんはいろいろな問題を抱えていて、その問題を自分だったらどう判断するのか、自分が患者だったらどうしてほしいのかをいつも考えています。それはご家族との関係も一緒ですね。

——チベットへの支援もそのような利他の思いで取り組んでおられるのですね。

はい。いま取り組んでいることの一つが2010年に結成した「飯能・チベットを考える会」の活動です。私は飯能市の高校の出身で、医者になった後も同級生などたくさんの仲間と関わってきました。チベット問題に関心を持ってくれる仲間も多く、そういう人たちと一緒に、どういうアプローチができるかを議論しながら考えたんです。
私は医師ですので、できるだけ政治・経済の面からのアプローチは避けたい。それでも人々の心に届くものは何かと考えて思いついたのがチベットに関する映画の上映でした。

——映画を通してチベット問題の啓発を。

このコロナで2年くらいできていませんが、ドキュメンタリー映画だとか、チベットの文化伝統について紹介する短篇映画を毎年上映していて200~300人の皆さんが集まってくださいます。
もう一つは国外の同胞に対する支援活動ですね。これも埼玉医大の仲間と1992年に「パサニア チベット難民子ども支援会」という会をつくりまして、主に教育や医療に関する支援を続けています。南インドの難民キャンプに幼稚園や図書館、バスケットボールのコートなどを建設してきましたが、これも私自身が受けた恩を少しでもお返ししたいという思いでやっていることなんです。

武蔵台病院院長

西蔵ツワン

にしくら・つわん

1952年ネパール国境に近いチベットの商業都市・シガツェに生まれる。62年家族で亡命。ネパール、インドを経て65年に来日。80年埼玉医科大学を卒業。埼玉県内の病院勤務を経て2009年武蔵台病院院長に就任。チベット難民キャンプを訪ねるなど祖国への支援を続けている。