2025年12月号
特集
涙を流す
対談
  • アサヒグループホールディングス会長小路明善
  • 王将フードサービス社長渡邊直人

節を越え、
人も会社も成長する

ここに不屈不撓の精神で幾度も節を乗り越えてきた2人の経営者がいる。卓越したリーダーシップで海外展開を推進し、アサヒグループを世界的なビール・飲料ブランドへと育て上げた小路明善氏。先代の急逝を受けて王将フードサービスの経営のバトンを引き継ぎ、世のため、人のための経営改革で過去最高の売上高へと導いた渡邊直人氏。互いを認め合う両氏に、経営における歓喜と悲哀を交えながら、人生・仕事を発展させる要諦を語り合っていただいた。

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    時間を忘れて語り合う間柄

    渡邊 きょうは私が師と仰ぐ小路会長と対談の機会をいただいて、大変光栄です。少し緊張もしていますが(笑)。

    小路 私も渡邊さんとお話しするのを楽しみにしてきました。

    渡邊 小路会長に初めてお目にかかったのは、小路会長がアサヒビールさんの社長に就任された2011年でした。当時の私は常務として東日本エリアを任されていたので、何をするにしても、近くにいてくださるアサヒビールさんに相談していたんですよ。

    小路 年に1回、当社と王将さんの懇親会が開かれるんですよね。

    渡邊 その懇親会の席で初めてお会いしたわけです。正直に申し上げますけれども、最初はおっかなそうな人だなと(笑)。近づき難い雰囲気がただよっていて、うちの人間もおじづいていました。
    ただ、私はかねてお話を伺いたいと思っていたんです。それで勇気を振り絞って声を掛けましたら、ざっくばらんにいろんなお話を聞かせてくださいました。王将の人間で小路会長に一番先に話しかけたのは私だと自負しています。
    すっかり意気投合しまして、以来年に数回食事をするようになり、様々なご助言をいただいて、今日に至ります。

    小路 いつもお店から「閉店ですよ」と追い出されるまで、長々と語り合っていますね(笑)。
    実は、私が社長になる時に真っ先にお話を伺いたいと思ったのは、渡邊さんでした。というのも、「餃子の王将」さんではビールは当然のこと、ジュースや炭酸飲料に至るまで、全飲料がアサヒグループの商品なんです。そんな会社は他に例がありません。全商品がアサヒで商売が成り立っているのか。常務ながらも、当時から実質トップとして王将さんの陣頭指揮を取っておられた渡邊さんにそのけつをお聞きしたいと考えたんです。
    渡邊さんの第一印象は、やさしくて怖い人だなと。非常に温厚な雰囲気をお持ちになっている一方、言葉の端々から並々ならぬ覚悟と決意がヒシヒシと伝わってきました。れつな外食産業に身を置き、ましてや餃子一本で経営をしていくのはなまはんなことではない。やさしさと厳しさの両面が備わっていなければ、外食産業では闘っていけないのだと学びました。
    それから、社長就任後に原材料の国産化や社員のベースアップといった難しい決断を次々に下してこられましたね。渡邊さんはこれぞと決めたことを徹底してやり抜く方です。心から尊敬しています。

    渡邊 小路会長にそう言っていただけて、これ以上名誉なことはありません。

    アサヒグループホールディングス会長

    小路明善

    こうじ・あきよし

    昭和26年長野県生まれ。50年青山学院大学を卒業後、アサヒビール入社。平成13年執行役員。15年アサヒ飲料常務取締役企画本部長。19年アサヒビール常務取締役兼常務執行役員。23年同社社長に就任。28年アサヒグループホールディングス社長、令和3年会長兼取締役会議長を経て、7年より現職。日本経済団体連合会副会長、日韓経済協会会長、青山学院大学特別招聘教授も務める。

    「寄り添わせていただきます」人生行路を共に歩む友として

    渡邊 小路会長との思い出で何より忘れられないのは、大東おおひがし隆行前社長が凶弾に倒れ、緊急の取締役会によって私が社長を拝命した時です。2013年12月19日のことでした。
    あの時は突然経営のバトンを引き継ぐことになり、誰も頼ることができない。逃げ出したいくらいの重圧に見舞われる、人生で最もつらい一日でしたが、翌日真っ先に京都の本社まで来てくださったのが、小路会長率いるアサヒビールさんでした。まだ事件の全容も十分つかめていなくて、リスクがあるかもしれないにもかかわらず、小路会長はこうおっしゃいました。
    「アサヒビールはどんなことがあっても、いままで通り御社と渡邊さんに寄り添わせていただきます」
    他にも「応援するから頑張れ」と言ってくれる人はいましたけど、小路会長の言葉からは、商売上の取引を超えた、人としての温かみが伝わってきました。心魂に響いて、思わず涙が流れましたね。私はあの言葉を一生忘れません。

    小路 王将さんがお得意先だからとか、何か意図的に言ったわけではないんですね。渡邊さんとの付き合いが深まっていくにつれ、単なるビジネスパートナーを超えて、人生行路を共に歩んでいける人だと思うようになっていました。
    ましてや、あんな大事件が起こった後に社長を継ぐ苦労は計り知れません。渡邊さんの胸中を考えれば考えるほど、会社として支援する以前に、生涯の友として一緒に歩んでいきたいとの気持ちが自分の中で湧き上がってきたんです。だから「寄り添う」という言葉を口にしたのだと思います。

    渡邊 こういう事件の時って、人間の本心、本性が現れます。現に事件が起きてから、危うきに近寄らずで、連絡が取れなくなる人も何人かいました。それでも、小路会長は温かい言葉を掛けてくださった。さらに振り返れば、アサヒビールさんには創業期からご支援をいただいてきた御恩があります。
    これからも王将とアサヒビールさんの繁栄が続いていく。そのために王将の立場で精いっぱい生きるのが私の使命だと覚悟を決め、経営に打ち込んできたんです。

    王将フードサービス社長

    渡邊直人

    わたなべ・なおと

    昭和30年大阪府生まれ。54年桃山学院大学を卒業後、王将チェーン(現・王将フードサービス)入社。関東エリアマネージャー、常務を経て、平成25年前社長の大東隆行氏の死去に伴い、社長に就任。原材料の国産化や最新鋭の餃子製造機械を備えた東松山工場の建設をはじめ、経営改革を断行し一層の躍進を遂げる。