2016年10月号
特集
人生の要訣
インタビュー2
  • 料理アドバイザー興 十郎

一流の料理人は
思いやりを形にする

明治4年創業の老舗「柿安本店」に鳴り物入りで入社以来、総菜をはじめ次々と新しい業態を同社に根づかせた興 十郎氏。その根底には思いやりを形にするという、料理人としての信念があった。現在は料理アドバイザーとして新たな挑戦に乗り出した興氏に、料理人としての歩みの中で摑んだ人生の要訣をお話しいただいた。

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奉仕こそ我が天命

──興さんは老舗料理店「柿安本店」の総料理長として、惣菜店「柿安ダイニング」を展開してデパ地下を活性化させるなど様々な取り組みをしてこられましたが、いまは料理アドバイザーとして活動されているそうですね。

約20年お世話になった柿安を辞めたのは今年(2016年)に入ってからなので、料理アドバイザーとして本格的に活動を始めてからはまだ半年しか経ってないんですよ。
柿安では新しいことを常に先頭に立ってやってきたので、そこから離れるというのは相当の覚悟が必要でした。ただ、売上高100億円足らずだった会社を400億円を超えるところまでつくり上げてしまうと、日常のことが結構普通になっちゃうんですよね。検討会や会議などで決めることはたくさんあって、いろいろと周囲から頼られたりもするんですけど、ふと、こういう日々を自分は望んでいたのかなと思ってしまったんです。
おかげさまで独立後に10社くらいからお声掛けいただき、最終的にセブン‐イレブンさんやシアトルの日本食レストランなど4社に絞って商品開発や料理指導などに当たらせていただいています。まだ始まったばかりですが、関わったところは既に前年比110とか130%といった感じで売り上げが伸びていますので、手応えは掴めているかなといったところですね。

──新たな挑戦を始められたばかりの興さんですが、そもそも料理の道に入られたきっかけは何だったのでしょうか。

いま思い起こすと、僕は小さい頃から料理に興味があって、よくおふくろに「卵焼きを自分でつくりたい」とか言っていたんですよ。ただ、生まれ育った鹿児島県の奄美大島は男尊女卑が顕著な地域でしたから、「男は台所に立つな」とはよく言われたものです。
高校卒業後は専門学校で建築を勉強しようと上京したのですが、その頃の夢は役者になることでした。ですから文学座に入って一所懸命頑張っていたのですが、一向に芽が出ない。
一方、生活のためにホテルの調理場でアルバイトを始めたところ、「おまえは筋がいい」というので、調理人になる気はさらさらない私を、どんどん引き上げてくれるんですよ。それで26歳で料理長になるんですが、その頃に不思議な体験をしましてね。

──不思議な体験?

ええ。あるアパレル関係のパーティー会場でのことでした。ちょうど僕の立っていたところに、いい陽だまりができていたんですよ。すると突然すぐ側に仙人みたいな髭の老人が現れた。で、その時に僕は何をしたかというと、何気なく自分のつくったクリームシチューを味見してもらったんです。
そうしたら、仙人が「おっ、これは十分奉仕できる」と言った。何がなんだか分からなくて、これは絶対に夢だと思ってつねったんですけども、痛かったんです。

──白昼夢でしょうか。

分かりません。ただ、その仙人は一瞬にして消えてしまったんですよ。それから1週間くらいは、あれは何だったのかと悩みましてね。最終的に出した答えは、きっと自分は料理人として人に奉仕すると約束して生まれてきたんだろうというものでした。

──それが興さんの天命だと。

そう捉えました。ですからその時点で役者の夢をスパッと諦めて、料理の道に進もうと決めたんです。そうしたら、その後は早かったですね、展開が。

料理アドバイザー

興 十郎

おき・じゅうろう

昭和33年鹿児島県生まれ。中央工学校卒業。ホテルパインヒルで六店舗の総料理長を務めた後、平成8年柿安本店に入社。28年同社東京本部執行役員商品部総料理長を辞して料理アドバイザーとして独立し、現在に至る。