2021年8月号
特集
積み重ね 積み重ねても また積み重ね
対談
  • (左)代々木上原禅堂師家窪田慈雲
  • (右)天台宗圓融寺住職阿 純章

修養の道、限りなし

お釈迦様の目指したものを
目指して歩み続ける

坐禅修行の一道を歩み続け、89歳になるいまなお、東京の代々木上原禅堂を拠点に後進の育成に情熱を傾けている窪田慈雲師。1200年の歴史を有する天台宗の名刹・圓融寺の住職として、人々に仏教の神髄を分かりやすく紐解いている阿 純章師。お釈迦様の目指したものを目指して、限りなき修養を積み重ねてきたお二人に、私たち一人ひとりが心の安寧を得、幸せに生きていくための要諦を語り合っていただいた。

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「恰好」が導いた不思議な道縁

 尊敬する窪田老師との対談ということで、大変緊張してまいりました。きょうはいろいろと教えをえればと願っております。

窪田 私も89歳になりますから、おおやけの席に出るのはもうだめなんですよ。でも、きょうは自分の最後のお勤めだと思って、お引き受けさせていただいたんです。
おかさんと初めてお目にかかったのは、堀澤祖門そもんさん(泰門庵住職)の会だったと思いますが……。

 ええ、2014年、堀澤先生が比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじで年に一回開催されている会に窪田老師をお招きし、講演をしていただきました。ちょうど窪田老師が中国の禅僧・趙州じょうしゅうの『趙州録』を現代語訳し、私解(解説)をつけた『心によみがえる「趙州録」』を出版された頃です。
その講演で、窪田老師が『趙州録』にある「恰好こうこう(よし来た!)」という言葉を教えてくださり、非常に感動し、以来それが私の座右の銘になったんです。そして3年前に鎌倉円覚寺えんがくじ管長の横田南嶺なんれい老師と『致知』で対談する機会をいただいた時に、さっそく「恰好」を紹介させていただきました。
それがきっかけとなり、きょうの窪田老師との対談につながっていったことを思うと、何かの縁、天地のはからいが働いているのではないかという思いがしています。
ただ私の不学で、横田老師との対談では、「恰好」を「かっこう」と間違って読んでしまいました。

窪田 普通は皆「かっこう」と読みますよ。これを「こうこう」と読める人はなかなかいません。

 それにしても、窪田老師が「恰好」を「よし来た!」と訳されたのはすごいことだと思います。どういう心境で訳されたのですか。

窪田 いやもう、見た瞬間にこれは「よし来た!」と訳すほかないだろうと。論理はないですよ。
逆に私は、阿さんがなぜこの「恰好」に感心したのか、そこのところをぜひお聞きしたいですね。

 私は大学院の時に中国に留学していたのですが、「恰好」という中国語は、「ちょうどいい」という意味で日常的によく使われる言葉なんです。しかし、それを窪田老師が「よし来た!」と訳されたのは新鮮に感じました。
それから、教育者の和田重正氏が、とび職人が高いところから落っこちた時、むしろ自分からばっと飛び降りたほうが怪我けがが少ないとおっしゃっていまして、「恰好」に通じるものがあると思ったんです。人生もそれと同じように、何事にも「よし来た!」という姿勢で向き合っていけば全然変わってくるのだろうと思うんですね。私自身、いろいろと壁にぶつかった時に「恰好」を思い出すと、俄然がぜん腰に力が入って頑張れます。

代々木上原禅堂師家

窪田慈雲

くぼた・じうん

昭和7年東京生まれ。17歳の時に安谷白雲老師と初相見し、44年受戒。47年に大事了畢の証明、慈雲軒の軒号を授かる。白雲老師遷化後は山田耕雲老師に師事し、嗣法を経て平成元年に三宝教団第三世管長就任。16年退任後は、代々木上原禅道場や経営者向けの坐禅会で指導。著書に『道元禅師の心』『心に甦る「趙州録」』(共に春秋社)などがある。

時代を超える趙州の言葉と教え

窪田 実はこの「恰好」には忘れられない話がありましてね。以前、私が東京で指導していた経営者向けの坐禅会に、東京電力の子会社の社長さんが参加されていたんですよ。その社長さんは、2011年に東日本大震災が発生した時も、ずたずたになった道を福島から自家用車で東京までやってきて、夕方6時半からの坐禅会と勉強会に参加され、その後の夕食会で私の隣の席にピタッと座ったんですね。
そうしたら、「禅では今回のような大災害に遭遇した時、どのように対処すべきだと教えるのですか?」と質問してきたんです。社長さんと直接お話しするのは初めてで、当時は東京電力の子会社の社長をしていることもまったく知りませんでした。でもその頃、私はちょうど『趙州録』の現代語訳と解説に取り組んでいましたから、次のようにお答えしたんです。
「大変な災難が押し寄せてきましたが、どう逃げたらよいのでしょうか?」という問いに対して、趙州はただひと言、「恰好」とだけ答えた。「恰好」とは日本語では「よし来た!」という意味ですよ。
すると、その社長さんは「ご老師、分かりました! ありがとうございます!」と叫んで、別のテーブルに行ってしまいました。

 「恰好」の言葉から、ぱっと感じるところがあったのですね。

窪田 後に聞くところでは、社長さんは翌日に自家用車で福島まで帰り、すぐさま自分と社員の家族を安全な場所に避難させ、キャンピングカーに鍋・釜・衣類・食料を積み込み、その車に社員と泊まり込んで再建に当たったというんです。すごいなと思いました。
さらに、原発事故に直面したことで相当ショックを受けたのでしょう。自ら太陽光発電の会社までつくっちゃった。まさに、趙州の「恰好」が彼を救ったんです。

 趙州の言葉や教えの持つ力のすごさが伝わってくるお話です。

天台宗圓融寺住職

阿 純章

おか・じゅんしょう

昭和44年東京都生まれ。平成4年早稲田大学卒業。15年同大学大学院文学研究科東洋哲学専攻博士課程退学。大学院在学中、北京大学に中国政府奨学金留学生として留学。帰国後、早稲田大学、専修大学等で非常勤講師を務める。現在は天台宗圓融寺住職、円融寺幼稚園園長。著書に『「迷子」のすすめ』(春秋社)『生きる力になる禅語』(横田南嶺氏との共著、致知出版社)などがある。