連載 20代をどう生きるか
二十代をどう生きるか
  • 東京海上日動火災保険相談役永野 毅

回り道は
決して無駄にならない

日本トップの損保会社を傘下に擁する東京海上ホールディングスの経営を担い、よりよい社風づくり、人づくりを基盤に新商品開発やM&Aに果敢に取り組んできた永野毅氏。同社を大きく躍進させてきた経営手腕の礎はどのようにして培われたのだろうか。若き日に得た貴重な学びを交えて贈る20代へのエール。

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    東京海上日動火災保険相談役

    永野 毅

    ながの・つよし

    昭和27年高知県生まれ。50年慶應義塾大学商学部卒業。東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)入社。ロサンゼルス駐在員や経営企画部、海外統括等を経て、平成25年東京海上ホールディングスと東京海上日動の社長に就任。31年東京海上ホールディングス会長。令和7年より現職。

    常に目的を考えること

    私は今年(2025年)で73歳になります。この年になると、人生には一瞬たりとも無駄な時間がないことをつくづく実感させられますが、若い頃はその自覚に乏しく、大切な1日、1時間を無為に浪費してしまいがちです。いま思えば、随分もったいない時間の過ごし方をしたものです。

    しかし一方で、そうした無駄や回り道も、決して否定はできないという思いもあります。紆余曲折うよきょくせつを経て得られる貴重な学びがあり、そこからぶれない自分の軸や信念が培われた実感があるからです。そんな私の若かりし頃を振り返ってみましょう。

    私は昭和27年、高知に生まれました。父は地元で手広く林業を営み、高知の木材協会で会長も務めていましたが、私が2歳の時にきゅうせい。母がまだ若かったこともあり、代わりに家族のリーダーシップを担っていた母方の祖母の判断で、一家は東京へ移り住むことになりました。戦前に満州へ渡り旅館を営んでいた祖母は、開明的でスケールの大きな人でした。孫の将来のために広い世界を見せてやりたいと考え、なけなしのお金をはたいて東京に不動産を買い、アパート経営などで家族を養ってくれたのです。

    生まれ育った地元に愛着のあった私は、一人高知に残って寮生活を送り、中学卒業後に東京へ移って慶應高校へ進学しました。水泳が好きだった私は、先輩に誘われて水泳部へ入部し、合宿で海洋遠泳の面白さに目覚め、大学を出るまで7年間続けました。

    海へ出て、個人、または団体で泳ぐ海洋遠泳は、サメや航行中の船との遭遇を避けるために遊泳中は船が伴走します。泳ぎ手と船上の応援者が一体になって自然と戦いながら、一日8キロ、時には20キロという長い距離を泳ぎ抜く喜びは格別ですが、当時は公認の大会がありませんでした。他の競技のように、インカレで優勝するといった具体的な目標を掲げられなかったため、自分は何のために泳いでいるのかといつも考えながら海に身を投じていました。

    この経験は、社会人になってからとても役に立ちました。目の前の仕事をただこなすのではなく、何のためにやるのかを考えながら取り組むこと。その仕事を通じて成そうとしている目的を常に意識しながら取り組む習慣が身についたのは、学生時代に海洋遠泳に打ち込んだおかげです。このことは、後に社長になってからも社員に繰り返し説き続けました。