2021年9月号
特集
言葉は力
対談
  • (左)社会教育家田中真澄
  • (右)元WBC世界ライト級チャンピオガッツ石松

よい言葉が心を強くする

弊社書籍『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』が、発刊から僅か半年で30万部に迫る売れ行きを示している。読者から連日寄せられる感想からも、収録された各界一流人の珠玉の言葉が、多くの人の心を捉え、奮い立たせていることが窺える。同書に名を連ね、同書に大きな共感を示していただいている田中真澄氏とガッツ石松氏に、収録されたエピソードを踏まえて、各々を今日へと導いた言葉について語り合っていただいた。

この記事は約24分でお読みいただけます

人生とは一引き、二運、三力

ガッツ 田中先生、初めまして。

田中 どうも、ガッツさん。大成功者のあなたにお目にかかるのを楽しみにしていました。

ガッツ こちらこそ、対談の機会をいただいて光栄です。
田中先生とはきょうが初対面ですが、致知出版社の『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』に、先生と一緒に私の話も載せていただいているから、初対面という気がしません(笑)。

田中 この本に載っているのは立派な方ばかりですから、私たちの話を選んでいただいて本当に嬉しいですよね。
最初に手に取った時には、400ページ以上もあってズッシリ重いし、こんな硬い本が売れるだろうかと危惧きぐしたんです。ところがふたを開けてみたら、もう30万部近く売れているそうですね。こういう本がここまでたくさんの人に読まれているのは、本当にいいことだと思います。
ガッツ そういうすごい本に選ばれたのは、ありがたいことだと思います。他の方のお話を読ませてもらうと、「いや、それは違うぞ」って違和感を覚える話は一つもなくて、どこを開いてもなるほどなと納得できる。とてもいい本だと思ったから、すぐに50冊買っていろんな人に贈りました。
どのお話も素晴らしいけど、私が一番心に残ったのが田中先生の言葉です。
「人生とは『一引き、二運、三力』」
本当にその通りだと思ったから、ちゃんとメモして、きょうも持ってきているんです。

田中 ガッツさんにそう言っていただくと、載せていただいた甲斐 かいがあります。

ガッツ 私自身がそういう人間なんですよ。ボクシングをやっていた頃は、負けても負けてもまた次の試合を組んでもらって、おかげで三度目の正直で世界チャンピオンになることができました。芸能界に移ってからも、橋田壽賀子 すがこ先生や倉本 そう先生といった一流の先生方に起用していただいて、活動を軌道に乗せることができた。
要するに、そうやって人に引っ張り上げられるから、そこでまたいい人に出会えてどんどん運をいただけるんですね。ただ、自分に力がないと、せっかくいい試合、いい番組を組んでもらっても勝ち取ることができません。

田中 そうそう。ガッツさんがそうやって一所懸命頑張る姿が人の心を打って、これまでたくさんの引きを呼んだのだと思います。
橋田先生が、芸能活動を始めて間もないガッツさんをあの『おしん』に抜擢 ばってきされたのも、やっぱりあなたのそういう生き方に感動されたからじゃないでしょうか。

ガッツ 実はその前に、民放のプロデューサーだったご主人から、ドラマで使いたいと言われていたんですよ。ところが急にキャンセルになったので、「なぜ私の出番がなくなったんでしょうか?」と電話して聞いたんです。ご主人は、私がワイドショーでユーモラスな役をやっていたのを見て合わないと思ったそうなんですが、私が電話したことで一所懸命さが伝わったんでしょうか。「うちの橋田に君のことを言っといてやる」とおっしゃったんです。
橋田さんは、私が第二の人生を芸能界でやっていこうと頑張っていることを、ご主人から聞かされたんでしょうね。「これはガッツ石松の役よ」ってNHKのプロデューサーに言ってくださったおかげで、『おしん』に出演することができたんです。

社会教育家

田中真澄

たなか・ますみ

昭和11年福岡県生まれ。34年東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、日本経済新聞社入社。日経マグロウヒル社(現・日経BP社)を経て、54年独立。ヒューマンスキル研究所を設立。社会教育家として講演・執筆活動を展開。著書に『百年以上続いている会社はどこが違うのか?』(致知出版社)『朝礼・会議で使える田中真澄の61話』(ぱるす出版)など多数。

何で俺は貧しい家に生まれたんだろう

田中 ガッツさんの魅力は何よりそのお人柄ですよ。ガッツさんのお人柄が、そういう引きや運を呼び寄せたと思うんです。
『365人の仕事の教科書』を読んでよく分かりましたけど、これはやっぱりご両親によって育まれたものでしょうね。特にお母様の血を強く引かれていると私は思いました。とにかくよく働かれるんだなぁ、ガッツさんのお母様は。お生まれは富山県だそうですね。

ガッツ ええ、富山です。

田中 富山の女性は勤勉で忍耐強くて、嫁を取るなら富山の女って言われるくらいなんですよ。

ガッツ 確かにそうかもしれませんね。うちは父が能天気ないいところの坊ちゃんで、あまり働くことをしませんでした。おかげで一家は雨漏りのする家に住むほど貧しい生活を強いられました。とても優しい人で、私は大好きでしたけど、父親としては失格でしたね。
代わりに家計を支えたのが母でした。本当に働き者で、いつも男に交じって土木作業をしていたんです。そういう母の姿を子供の頃からずっと見て育ってきたから、随分影響は受けているでしょうね。
ただ、母が危険な作業現場でどんなに汗水垂らして働いても、女性の肉体労働者の賃金は「ニコヨン」といって、日当240円というのが当時の相場でした。だから生活はずっと苦しかったですね。
ですから、子供の頃の私はいつも腹をかせていました。よくよその畑のものをりましたし、学校で人の弁当を半分食ったりもしました。それがいいか悪いかという以前に、私にとっては生き死にが懸かっていたんです。
貧乏が悪いとは思わないし、親を悪く思ったことも一度もありません。けれども、よその家で当たり前に手に入るものが自分の家では手に入らない現実は、いつも心に重くのしかかっていましたね。元気に振る舞ってはいても心の内では、「何で俺はこんな貧しい家に生まれたんだろう」と、悲しい気持ちでいっぱいでした。

ガッツ石松氏のご両親。病弱な父親に代わり母親が家計を支えた

田中 切ないですね。きっとお体も大きかったでしょうに。

ガッツ いや、小さかったです。だけど腕力はありました。はしっこかったし、喧嘩 けんかも負けたことがありません。

田中 その頃からもう強かった。

ガッツ 戦略も結構あったんですよ。相手が大勢の時はやり過ごしておいて、後で一人ひとりやっつけるんです(笑)。5歳の頃からもう立派なガキ大将でしたね。
ただ つらかったのは、他のやつの悪さまで私のせいになるんです。おかげで警察に連れて行かれて、家庭裁判所にかけられたことがあります。裁判官が見れば、こいつはやっていないとすぐ分かるから少年院へ行くことはなかったけど、やってないのにやったと言われる屈辱 くつじょくっていうんですか、それがいまに見てろっていう強烈な反発心を生んだんじゃないでしょうか。

田中 その強烈な反発心が、チャンピオンになる原動力となったわけですね。

ガッツ そこで自分をめたいと思うのは、相手を うらまなかったんですよ。私はこれまで人を恨んだことがないんです。済んだことをああだ、こうだ言ったって言い訳ですよね。だから何かあれば、俺がバカだからそうなったんだと。その代わり、同じ過ちを繰り返さない。そういう習性が早くから身につきました。

元WBC世界ライト級チャンピオン

ガッツ石松

がっつ・いしまつ

本名・鈴木有二。昭和24年栃木県生まれ。40年中学卒業と同時に上京、プロボクサーを志しヨネクラジムに入門。41年プロボクシングデビュー。20余もの職を転々としながら練習を続け、49年WBC世界ライト級チャンピオンとなり、以後5回防衛。53年引退し、芸能界に転身。平成8年衆議院議員選挙に出馬。20年広島国際学院大学現代社会学部客員教授。著書に『神様ありがとう俺の人生』(桜の花出版)『劣勢からの逆転力ガッツの知恵』(青土社)など。