2016年9月号
特集
恩を知り
恩に報いる
インタビュー
  • 元福島新樹会代表幹事渡邉五郎三郎

人はいかにして
大成するか

安岡正篤師の高弟・渡邉五郎三郎氏、98歳。幼少期に厳父より「武士の子」として躾けられ、ここに人生の志を固めた。戦後は同志とともに日本健青会を立ち上げ、荒廃した祖国の再建に尽力するとともに、同義国家の礎となる人づくり、古典教育に身を挺してきた。安岡師や数々の先哲、そして日本という国、戦友……。様々な恩に生かされ、その恩に報いんとしてきた、これまでの人生を振り返っていただいた。

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毎朝欠かさない木刀の素振り

──渡邉先生の今日までの人生は、戦後一貫して日本の国の再建や人材の育成に尽くされた歩みと言っていいと思いますが、数え年98のいまはどのような心境で毎日を過ごされていますか。

生きているだけでありがたい、というのが日々の実感ですね。様々な方々とのご縁や教えに支えられながら歩んでこられたし、こういう強い体に生んでくれた両親への恩を強く感じています。
ただ、さすがにいまは足腰が弱って耳のほうも悪くなりまして、講義はできても質問者の声が聞こえないものですから、長年にわたって続けてきた福島新樹会などの勉強会を昨年(2015年)解散しました。いまはもっぱら鎌倉の自宅にいて本を読んだり、物を書いたりして過ごしております。

──しかし、お声には張りがありますし、矍鑠としたお姿は変わりませんね。

いやいや、以前よりは随分と体が弱ってきました。一緒に住んでいる家族には迷惑をかけられないと思っておりますから、健康だけには心掛けています。
夜遅くまで起きていると疲れますし、夕飯を済ませて風呂に入った後は床について、2時半か3時に起きます。そこから家族が起きてくるまでの間が私一人の自由な時間なんです(笑)。

──どのようなことをなさるのですか。

朝起きますと、洗面所に行って、そこに置いてある青竹を踏みながら、「青春」の詩を暗唱するんです。「青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意思、燃ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。……」と。

──サミュエル・ウルマンの詩ですね。いつもそういう心意気でご自身を鼓舞していらっしゃる。

はい。これは私の大好きな詩で、若い方々にもぜひ読んでいただきたいと思います。
それが終わると、グリップというんですか、握力をつける器具を両手に持ってギュッギュッと80回ほど握ります。そこから外に出て深呼吸と柔軟体操をやるんです。
私が師事しました安岡正篤先生は「西洋の体操は、吸ってから吐くという呼吸を教えているが、あれはおかしい。まずは肺の中に溜まったものを出し切って、それから吸うほうが正しい」とおっしゃっていました。私もそのとおりにやっております。
体操の後は、木刀を持って40回の素振りをして、家の周囲を400歩ほど散歩します。これがその木刀なんですが……。

──随分重たいですねぇ。

これは私が福島県知事・松平勇雄さんの秘書をやっていた時に、ブラジルに行く機会がありまして、私が剣道をやっていたことを聞いた人たちが、わざわざ作ってくださったものなんです。鉄木と呼ばれる非常に堅い材質です。実際、風呂の中に入れると沈みますからね。これを以前は50回振っておりましたが、90歳になってから40回に減らしました。私にとっては欠かすことのできない大切な健康法の一つです。

元福島新樹会代表幹事

渡邉五郎三郎

わたなべ・ごろうさぶろう

大正8年福岡県生まれ。昭和11年旧制中学明善校を卒業し、南満工専技養・機械科卒業後、満鉄に勤務。26年参議院議員秘書。41年国務大臣行政管理庁長官秘書官、51年福島県知事政務秘書。平成2年から27年まで政策提言集団・福島新樹会代表幹事を務める。著書に『西郷南洲手抄言志録を読む』(致知出版社)など。