明治、それは急激に近代化が進展した時代。一面には、舶来の思想がなだれ込んだ時代とも言えよう。そんな歴史の転換点で明治天皇の侍講を20年にわたり務め、同郷の井上 毅と「教育勅語」の起草に尽力。稀代の名君を育て、日本を貫くものを世に知らしめんとしたのが元 田 永 孚だ。近年風化しつつあるその偉業を、肥後の偉人顕彰会・永田 誠会長に繙いていただいた。
肥後の偉人顕彰会会長
永田 誠
ながた・まこと
昭和49年熊本県生まれ。平成7年熊本工業専門学校電気科卒業。一般企業に勤める傍ら、30年「肥後の偉人顕彰会」を設立、副会長に就任。令和3年会長。著書に『井上毅先生』(肥後の偉人顕彰会編/ネクストパブリッシング出版)がある。
(肖像=国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)
元田永孚
もとだ・ながざね(えいふ)
文政元(1818)年、熊本藩士の父の下に生まれる。11年藩校時習館に入学。安政5年父の死去により家督を相続。明治2年藩の職を辞して隠居。4年明治天皇の侍読となる。8年より待講。24(1891)年、明治天皇の特旨により従二位・男爵の叙勲を受けた後、流行性感冒のため享年72で没する。雅号は東野。