2020年10月号
特集
人生は常にこれから
対談
  • (左)デザイナーコシノジュンコ
  • (右)二十六世観世宗家観世清和

人生は常にこれから!

国内外で活躍する世界的デザイナーのコシノジュンコ氏。観阿弥・世阿弥から連綿と続く能楽の歴史と伝統を受け継ぐ二十六世観世宗家・観世清和氏。能楽とファッション——異なる分野のコラボレーションを通じて、日本の伝統と美の発信に情熱を燃やすお二人に、いま日本人が改めて立ち返るべき原点、これからの未来を力強く切り拓いていく心の持ち方を縦横に語り合っていただいた。

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対談は東京・銀座の「GINZA SIX」内にある「二十五世観世左近記念観世能楽堂」にて行われた。

最高の宝物は「モノ」ではなく経験

コシノ 御家元と初めてお会いしたのは2015年、当時、東京・渋谷の松濤しょうとうにあった観世能楽堂(現・二十五世観世左近さこん記念観世能楽堂)でお能をさせていただいた時でしたね。きちんとお能を観るのは初めての体験でしたから、とても強い印象を受けたんです。
それがきっかけで、御家元にTBSラジオ『コシノジュンコ MASACAマサカ』に出演していただいた。「御家元、ラジオに出られたことはありますか」と聞くと、「初めてです」とおっしゃって、「あぁ、そういう世界なんだ」とびっくりしました(笑)。私がお能の世界のことを理解していたら、ラジオ出演なんてとてもお願いできなかったと思うんですよ。まったくお能に無知だったからよかったんです。

観世 コシノ先生は非常にエネルギッシュでいらっしゃいます。ラジオ番組でも、視聴者の方々に向けて分かりやすくご説明しながら、慣れない私と対談してくださった。いまでも印象深く残っております。

コシノ 私が一番のショックだったのは、御家元がものすごく大きな荷物、風呂敷を持ってスタジオにいらっしゃったことです。その風呂敷を開いたら、能面が入っていて「これをつけてみて下さい。つける前に、面に対してうやうやしく『いただいて下さい』」っとおっしゃった。テレビ番組ではなく、声しか聞こえないラジオ番組ですよ(笑)。
それで、「いただきます」がどのような意味なのかも分からないまま能面をつけると、ものすごく軽いんです。紙のように軽い。能面はひのきでつくられているんですよね?

観世 ええ、檜です。

コシノ 檜だから軽いし、小さな眼の穴が2つ開いていて、呼吸も会話もできる。何だかおもしろくなって、能面をつけたまま御家元と五分くらいお話ししましたね。
ラジオ番組は5年以上続けていて、これまでたくさんのゲストの方に出演していただいてきましたが、「一番印象的だったのはどなたですか」と聞かれたら、私はいち早く御家元と答えます。それくらいショックだったんですよ。
それに御家元が「1分でいいからうたわせていただけますか」とおっしゃって、もうびっくりしました。ラジオのスタジオは小さいですから、こんなに近くで本物の方のうたいを聴けるなんて、これほど幸せなことはないと思いました。
私、人生の宝物は具体的な「モノ」ではなくて、目には見えない経験だと思っています。ですから、最高の経験、宝物をいただいた。

観世 人生の宝物は「モノ」ではなく、目には見えない経験でしょうか。

コシノ 御家元が能面を持ってきてくださったり、謡ってくださったことで、以後、ヴァイオリニストの方にはヴァイオリンを演奏してもらったり、歌舞伎の方にはちょっとセリフを言ってもらったりするようになったんですね。御家元が先頭を切ってやってくださったのが、勢いになった(笑)。

二十六世観世宗家

観世清和

かんぜ・きよかず

二十六世観世宗家。重要無形文化財総合認定保持者。1959年生まれ。1990年宗家継承。観阿弥・世阿弥の子孫として現代の能楽界を代表する演者。2016年ニューヨーク・リンカーンセンター招聘公演(5日間)は連日満員の盛況で極めて高い評価を得た。現在は能公演はもとより、(独)日本芸術文化振興会評議員・東京藝術大学非常勤講師・国立能楽堂養成研修主任講師を務め、伝統芸術の保存と継承・後進の育成にあたる。(一財)観世文庫理事長、(一社)観世会理事長、(一財)日本中国文化交流協会副会長。フランス文化勲章シュバリエ、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、JXTG音楽賞など多数受賞(章)。

見えない世界を演じるのが能楽

観世 先ほど、コシノ先生がおっしゃった「いただきます」ということは、うやうやしい心持ちです。能舞台の5色の揚幕あげまくの奥には鏡の間という大きな姿見がございまして、その前に出を待つシテ(能の主役)が着座して気持ちを整えます。
そして自分の出番がやってきますと、やおら能面に向かって礼拝らいはいをする。礼拝は変身願望、能面に自分の魂を移して変身するためのものだと言う人もいらっしゃるのですが、先代の私の父(二十五世観世左近元正もとまさ)は「先祖礼拝だ」と言っていましたね。
つまり「きょう一日無事に舞台を勤めさせてください。いま舞台を勤めることができるのは、ご先祖様のおかげです」という気持ちを表しているのです。

コシノ ああ、ご先祖様への感謝の気持ちを。そんなに大切な能面を、お能とは関係のない私がつけるというのは、大変失礼なことだったのではないですか(笑)。

観世 いえ、そんなことはございません。コシノ先生、本来ならば役者は「自分が主人公だ」と、素顔を出したくなりますよね。それを能面で見えなくするところにお能の独特の世界があるのです。

コシノ だからお能は魂、目に見えない世界を演じるわけですね。

観世 おっしゃる通りです。
能面の横には、小さな穴がございます。そこに「面紐めんひも」を通して後ろに縛るのですが、これは自分ではなく、後見こうけん(シテの後ろに控えてシテの演技の手助けをする者)が行います。その時にまず「お当たり」と申しまして、結び目の高さを決める。次に面紐の締め具合を確認する「お締まり」で、人間の急所である「こめかみ」を締めるのですが、その瞬間、日常から離れてゆくといいますか……。

コシノ この世と切断される。

観世 ええ、己の身を日常から隔絶するのです。「お締まり」という後見の声に、私がいつまでもストップを掛けないものですから、「大丈夫ですか?」と言われて、初めてハッとする、ということもあります。「いま生きている感覚」とはちょっと違う次元にならないと、良いお能にはならないのです。

コシノ すごい世界です。お能は600年以上の歴史がありますよね。

観世 約700年になります。

コシノ 能面をつけた瞬間から何かが宿る。そうした演劇が700年ずっと続いてきたというのは、本当に大変なことだと思います。

デザイナー

コシノ ジュンコ

大阪府生まれ。1960年代より数々のグループサウンズの衣装で活躍。日本万国博覧会にて生活産業館、ペプシコーラ館、タカラ・ビューティリオン館の3パビリオンのユニフォームをデザイン。1978年から22年間、パリコレクションに参加。1985年北京での中国最大のショウをきっかけに、ニューヨーク(メトロポリタン美術館)、ベトナム、キューバ、ロシア、ポーランドなどでファッションの枠を超えた日本文化を発信するショウを開催してきた。DRUM TAOの舞台衣装・琉球海炎祭の花火のデザインも手掛ける。2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザー。2017年文化功労者。文化庁 「日本博」企画委員。TBSラジオ「コシノジュンコMASACA」(毎週日曜17時〜)放送中。2020年11月9日、「GINZA SIX」内にある「二十五世観世左近記念観世能楽堂」にて「能とモードの饗宴」を開催。